蝶野のアジェンダ「無国籍みたいな感じじゃないスか」――フミ斎藤のプロレス読本#161[新日本プロレス199X編06]
―[フミ斎藤のプロレス読本]―
199X年
その場その場の思いつき、なんていったらまるで行きあたりばったりの人生みたいだけれど、蝶野正洋はそのときそのときのひらめきを大切にするヒューマン・ビーイングである。
プロレスラーとしての生き方に“太く短く”と“細く長く”のふた通りのマニュアルがあるとしたら、蝶野は「そんなこといったって“太く長く”がいちばんいいに決まってるじゃねーか」と考える。
細く長くやっていこうと思っていたころのイメージカラーは“純白”だったが、太さ志向になったらそれが“黒”に変わった。
ずいぶん長いあいだピカピカの白のニータイツ――田吾作タイツ――をはいていたが、ほんとうはホワイトはあまり好きな色ではなかった。
ふだん着だってブラック系のものばかりなのだから、やっぱりリングの上でも黒を身につけていたほうがしっくりくる。偶然なのか必然なのか、nWoカラーもブラック・オン・ブラックだ。
あんまり意志は強いほうではないんだそうだ。だから、できるだけラクにやろうなんて考えはじめたら、そっちの方向にズルズルとすべっていってしまう。
選手たちのスケジュール管理、シリーズ中の移動とホテルへのアクセス、試合以外の部分でのコミュニケーションはフロントオフィスの仕事だ。
ちゃんと線路=レールが敷かれているから、その上を走ってさえいれば道に迷うことはまずない。新日本プロレスのほとんどのレスラーたちはフロント、あるいはスタッフを“会社”と呼ぶ。
会社がしっかりしていれば、プロレスラーはプロレスのことだけを考えていればいい。それが団体サイドと選手サイドの正常な関係ということになるのだろう。
じっさい、白のニータイツをはいていたころの蝶野は、新日本プロレスがデザインしたスター選手としてのレールの上を決まりよく走っていくタイプのレスラーだった。
黒バージョンへの変身は、やっぱりちょっとした思いつき。でも、そのときそのときのひらめきは“内なる声”をソート(分類・整理)してくれる。
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