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ジン・キニスキー カナダのグレーテスト・アスリート――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第14話>

 キニスキーはNWA世界王者として3年間、“殺人的”スケジュールをこなした。1960年代はNWA、WWE(当時はWWWF)、AWAの3大メジャーリーグ並立時代。  WWEとAWAが興行会社であったのに対し、NWAは全米各地のローカル・テリトリーがそれぞれ独立採算型の団体として機能する加盟組織だった  キニスキーの仕事は、1年を通じてアメリカじゅうをツアーしながら毎晩のようにちがう土地のちがう試合会場を満員にすることだった。  移動中はいつもスーツとネクタイを着用し、ブリーフケースのなかにはきれいに磨かれた黒革のチャンピオンベルトが入っていた。  キニスキーは“鉄人”テーズを倒し、ひと世代若いドリー・ファンク・ジュニアにチャンピオンベルトをバトンタッチした(1969年2月11日=フロリダ州タンパ)。  キニスキーのふたりの息子、長男ケリーと次男ニックも1980年代にプロレスラーとしてデビューしたが、いずれもこれといった実績を残すことなくフェードアウト。  長男ケリーが偉大なる父とおそろいのメイビーブルーの“CANADA”ジャージーを着ていたのがわずかに印象に残る程度だった。 ●PROFILE:ジン・キニスキー Gene Kiniski 1928年、カナダ・アルバータ州エドモントン生まれ。エドモントン・エスキモーズ在籍後、1952年、プロレス転向。アメリカでのニックネームは“Canada’s Greatest Athlete”“Big Thunder”だったが、日本では“荒法師”なる漢字のあだ名で親しまれた。1970年12月、ジャイアント馬場を下しインターナショナル王座を奪取。1992年2月、40年の現役生活にピリオドを打って引退。2010年4月14日、ワシントン州ブレーンの自宅で死去(ブレイン・キャンサー=脳のがん)。81歳だった。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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