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ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー “生傷男”と“粉砕者”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第22話>

ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー “生傷男”と“粉砕者”<第22話>

連載コラム『フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100』第22話は「ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー “生傷男”と“粉砕者”」の巻(イラストレーション=梶山Kazzy義博)

  “生傷男”ディック・ザ・ブルーザー&“粉砕者”クラッシャー・リソワスキーは、史上最凶のタッグチームとして一世を風びした。  ちょうど“ストーンコールド”スティーブ・オースチンがふたりいるような感じのコンビだった。  トレードマークは瓶ビールのラッパの飲みと口にくわえたくしゃくしゃの葉巻で、いつもテレビカメラに向かってドスの利いた低音の声でがなり立てた。  ストーンコールドやカート・アングルらに代表されるツルツルに剃り上げたボルド・ヘッドが1990年代後半からミレニアムにかけてのトレンドだとすると、1960年代の流行は短く刈り込んだブロンドのクルー・カットだった。  ブルーザーとクラッシャーがタッグチームとして成功したいちばん大きな理由は、身長と体重がほとんど同じサイズで、まったく同じタイプのレスラーが本格的にタッグチームを組んだことだった。  身長はともに5フィート11インチ(約180センチ)、体重260ポンド(約118キロ)。四角い冷蔵庫のような厚みのあるボディーだった。  血縁関係はなかったが、“公称”イトコ同士で、体つきも雰囲気もよく似ていた。年齢はクラッシャーのほうが3歳年上で、キャリアでも下積み時代が長かったクラッシャーのほうが5年ほど先輩にあたる。  クラッシャーのニックネームは“ミルウォーキーを有名にしたレスラー”で、ホームタウンはペンシルベニア州ピッツバーグだったが1960年代以降はウィスコンシン州ミルウォーキー在住。現役選手とプロモーターの二足のわらじをはいた。  1949年に23歳でデビューし、もともとはダークヘアのベビーフェースだったが、髪をブロンドに染めてヒールに転向。  アート・ニールセンArt Neilson、ユーコン・エリックYukon Ericとのタッグチーム、スタン・リソワスキーStanLisowskiとのリソワスキー・ブラザースなど、おもにタッグ屋として活動。  1962年にブルーザーとの新コンビ結成と同時にブロンドの髪を相棒とおそろいのクルー・カットにした。  チームリーダーのブルーザーは、同世代のバーン・ガニアとはまたちがった意味のエリート・アスリートだった。  カレッジ・フットボールの花形スターとして活躍したが、観客席での乱闘事件が原因でネバダ―リノ大、パードゥー大など4つの大学を転々とした。  1951年、グリーンベイ・パッカーズにドラフトされ、同チームに4シーズン在籍後、1954年にプロレスに転向。  ルーキー・イヤーにルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に挑戦した。いわゆる大型新人だったのだろう。  ガニア、ザ・シーク、キラー・コワルスキーらとシノギを削った“ドゥモン・ネットワーク世代”で、キャリア3年でウィルバー・スナイダーを下してUSヘビー級王座を獲得(1957年12月14日=イリノイ州シカゴ)。  同年、ニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンで警察官を含む数10人の負傷者を出す“暴動事件”を引き起こした(1957年11月19日)。  その夜のメインイベントはブルーザー&“ドクター”ジェリー・グラハム対アントニオ・ロッカ&エドワード・カーペンティアのタッグマッチで、場外乱闘のさいにブルーザーが観客席になだれ込み、興奮したファン数人に暴行を加えた。  翌日、ニューヨークの新聞各紙はこのニュースを1面で報道し、4選手はニューヨーク市裁判所の公聴会に出頭を命じられ、罰金刑を受けた。  もちろん、こういう事件はブルーザーのようなレスラーにとっては勲章、ステータスであり、ビジネスとして考えればお金では買えない広告効果を生むことになる。  ブルーザーはこの事件のあとも全米各地のアリーナで観客席になだれ込んでいってはファンを巻き込んでの場外乱闘をくり返し、試合ではない場面ではバーやホテルでもなんども乱闘事件を起こした。  アメリカは“裁判の国”だから民事訴訟、刑事訴訟をあちこちでいくつも抱えることになった。  傷害事件であることにはまちがいないが、ブルーザーもファンもおたがいに暴力をふるっているため、裁判が長びくことを避けるため、ほとんどのケースは司法取引で加害者と被害者の“両者カウントアウト”に終わった。“生傷男”は確信犯になった。
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ブルーザーとクラッシャーが初めて合体
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