試合はスコアレスドローで結果、鹿島が王者に。そのときスタジアムは……
相変わらず大音量のブブゼラが鳴り響く。しかし試合時間が進んでもずっとブブゼラだけが鳴り続けている。これは日本でテレビ中継を見ていた人も気付いたかもしれないが、ペルセポリスの選手たちやチームを鼓舞する応援がほとんど聞こえてこず、それは試合終了まで続いた。
あの大観衆が揃ってチームを鼓舞するような応援を行っていたら、正直試合結果は違ったものになっていたかもしれない。ペルセポリスのファン・サポーターたちはホームの利を正しく活かせなかったのだ。「世界最悪のアウェー」と言われるアザディ・スタジアムだが、今回はACL決勝でお祭りムードが高まりすぎたのか「世界最悪」と言えるほどの雰囲気を醸し出すことはできなかった。
試合前の両チームエンブレム
試合はスコアレスドローで終わり、2戦合計2-0で鹿島アントラーズがACL王者に輝いた。試合終了後、しばらく経っても多くの観客がスタジアムに残って、ペルセポリスの選手たちに歓声を上げていたが、それがブーイングなのか励ましなのかはブブゼラの音も混ざっていため、わからなかった。
表彰式になると、まず準優勝のペルセポリスの選手たちが表彰台に登った。その時、鹿島サポーターからも「ペルーセポリス!」と声援が送られたが、スタジアムのざわめきやブブゼラの音が相変わらず大きく、残念ながら選手たちの耳には届いていなかったかもしれない。
表彰式が終わると「こちらに向かって小石を投げている奴らがいるらしいので、座って静かにしてて」と注意があり一時緊張したが、その後も特に大きなトラブルは起きなかった。表彰式終了後、30分ほどスタジアム内で待機し入場時同様、警察官に囲まれながら団体で退場し、バスに向かった。
外には多くのペルセポリスファンが残っており、さすがに試合前より興奮していた様子だったが、特段トラブルはなくバスに帰れた。歩いている日本人集団の中にヘラヘラしながら加わってきたイラン人がいたが、すぐに警察に追い出されていた。バスまでの道には等間隔で警察官が配備されており、警察官は「ウェルカム、イラン」などと声をかけてくれて、やはり笑顔で手を振ってくれていた。
スタジアムを後にし、バスでホテルに向かう。チェックイン時にパスポートを預けて、代わりにルームキーを受け取った。部屋は日本でもよく見かける普通のビジネスホテルである。大変ありがたいことに、トイレも普通の洋式トイレで紙も置かれていた(お腹を壊すことの多い筆者は今回の旅でこれが一番心配だった)。
ただ、なぜか知らないが私の泊まったホテルではテレビの電源ケーブルが抜かれており、テレビを視聴する事ができなかった。ちなみに冷蔵庫もテレビも韓国のSAMSUNG製品だった。部屋の中にある本棚にはコーランが置かれていた。
宿泊ホテルの様子
ホテルのテレビ
部屋においてあったコーラン
今回のイラン訪問にあたり、米ドルをイランリヤルへ換金した(日本円からイランリヤルに直接換金はできず、一度ドルかユーロにする必要がある)。結構な紙幣の量になり、少しばかりリッチな気分になるが、実のところこれで日本円換算約324円である。全て日本で事前精算をしていたので、ほとんど現金を使う機会はなかった。
イランの通貨
この日の夕飯はホテルでのディナーだった。サラダバーとメインで鶏肉のカツレツや鶏もも肉のローストなどが振る舞われた。
夕食(カツレツ)
夕食(鶏もも肉)
翌日は朝9時にホテルを経ち、空港に向かい日本への帰路についた。帰り、イランでは珍しく小雨が降っていた。
傘を差しながらバイクに2人乗り
記者は飛行機の時間の都合で残念ながら、テヘラン市内の観光はできなかったが、試合前日に宿泊した日本人によると、危ない雰囲気はなく、みな歓迎ムードで写真撮影を求められることも多かったようだ。
行ってみたらフレンドリーだったが日本の外務省はレベル1の注意喚起をしているイラン
とはいえ、ほとんどの日本人が団体で行動しており、今回はACL決勝が行われるお祭りムードもあったので、平常時も全く同じかどうかはわからない。外務省のホームページでは
「レベル1:十分注意してください。その国・地域への渡航、滞在に当たって危険を避けていただくため特別な注意が必要です。」
とアナウンスされており、イランに入国するとアメリカへの入国やトランジットでの手間が増えるなどのリスクも当然ある。
外務省「海外安全ホームページ」より。イランはレベル1だが、周辺にはレベル3(渡航中止勧告)や4(退避勧告)のエリアがある
ただ、「何となく漠然と危険」と思っていた未知の国イランは、笑顔が溢れるフレンドリーな国という印象に変わり、団体ツアーであればまたぜひ訪れてみたいと思った。今回、日本からは約300人の日本人がイランに向かったそうだが、サッカーを通じて、ACL決勝戦を通じて日本とイランの交流がほんの少し深まったのではないだろうか。 <取材・文・撮影/日刊SPA!取材班>