更新日:2019年09月23日 16:50
エンタメ

元『egg』モデル・藤井香愛の今…「カネ無し、男無し、定職無し、あるのは歌だけだった」

 渋谷カルチャーの象徴でもあるギャル雑誌『egg』が、4年間に渡る休刊を経てWebマガジンとして復活を遂げた。今後どのようなトレンドを発信するのか注目を集めているが、ギャル全盛期とも呼べる10年以上前に活躍していたモデルたちは今、何をしているのだろうか……。  10代の頃、『egg』モデルとして活動していた藤井香愛(ふじいかわい)さん。そんな彼女も今年で30歳となった。青春時代を読者モデルとして過ごしたが、実は、幼い頃から“歌手になること”が夢だった。2018年7月、歌手として『東京ルージュ』(徳間ジャパン)でメジャーデビューを果たした。だが、夢を追い続けることは簡単ではなかったのだ。
藤井香愛

元『egg』モデルで、現在は歌手として活動する藤井香愛さん(30歳)

ギャルの溜まり場「プリクラのメッカ」前でスカウトされ…

「20代半ばを過ぎてからまわりの友人が結婚・出産したり、仕事をしている人は役職を任されたり。そんな中、自分だけが取り残されたような気がして……。アルバイト先の不動産屋からは正社員の誘いもあって、これからの人生について本気で悩んだけど、心のどこかで夢を諦めきれない気持ちがあったんです。とはいえ、何も行動していない自分に嫌気が差すこともありました」  30歳を迎え、ようやくチャンスを掴んだ彼女。しかしその道のりは、決して順風満帆ではなかった。 藤井香愛 ――音楽好きの一家に育ち、小学生の頃から歌やダンスを習っていた。いつかプロになりたいと、芸能コースがある高校へ進学した。そんなときに出会ったのがギャル雑誌『egg』だった。 「渋谷センター街(※バスケットボールストリート)のど真ん中にあった『プリクラのメッカ』の前に座っていると、たまたま『egg』の撮影をやっていたんです。そこで編集部員に声を掛けてもらって、その後は私も誌面に出させてもらうようになりました」  プリクラがブームとなっていた当時、センター街の「プリクラのメッカ」はギャルの溜まり場でもあった。なにをするわけでもなく、みんなでそこに集まっていたという。  最初は小さな読者ページに「携帯に友達の登録者数がいちばん多い子」として取り上げられた。その後はメイクやコスメ、ヘアカタログなどの美容系企画を中心に、雑誌の目玉でもある巻頭ファッション企画にも呼ばれた。 「イベント系のギャルサークルに所属していたので、けっこう強めな“デリッカー”(※サイケデリックトランス系のクラブファッション)をやったり、倖田來未さんが流行っていた頃は“Bギャル”(※B系をミックスしたギャルファッション)をやったりしていましたね。毎月の撮影が本当に楽しみでした。そういえば、雑誌のコメントにも『夢はメジャーデビュー! 本気だから』って書いてましたね。当時から変わんないなって(笑)」  こうして高校3年間を『egg』の読者モデルとして過ごしつつ、歌やダンスのレッスンを続けた。そして、卒業後は本格的な芸能活動の第一歩を踏み出すことになる。 藤井香愛 藤井香愛

ヤクルトスワローズのユニットを卒業後、アルバイト生活に…

「高校を卒業したタイミングで芸能事務所に所属して、20歳のときに東京ヤクルトスワローズのパフォーマンスユニット『DDS』に選ばれました。歌をやっていたからヴォーカルを任されたんです。すごく充実していたのですが、ユニットを1年で卒業。その後は自分で歌詞を作ったり、地道にライブハウスで活動したり。ただ、なかなかお客さんが増えなくて……」  着うたがブームだった頃は、モデルやタレントが曲をリリースする例が目立っていた。そんな中で、「本気で歌をやっていない人たちと一緒にされたくない」というプライドもあった。しかし、内心では悔しい想いをしていたという。 「実際、歌手としての収入はほとんどゼロに近かったと思う。ルミネエスト新宿のアパレルショップ『WC(ダブルシー)』でアルバイトをしながら生計を立てていました。その後は、不動産屋『オープンハウス』で受付と事務の仕事を5年間していましたね。みんなでライブを見に来てくれたり、私の夢に対して理解があって応援してくれていました」  だが、現実はそう甘くない。鳴かず飛ばずの状態が長く続く。その間、まわりの友人たちの多くが結婚や出産した。仕事でも実績を積み上げていることがSNSを通してわかる。環境が大きく変化していく中で、次第に焦燥感が募っていく。 「たぶん、そのうちメジャーデビューできるだろうと甘く考えていたんです。でも実際は、カラオケのDAMでガイドボーカルの仕事をしていましたが、それ以外はほとんど何も……。週5でアルバイトをしていたから、普通に食べていける状態だったので。事務所を辞めてしまってからは、だんだんライブハウスにも出なくなってしまって。ぼーっと生活していたから、歌詞も浮かんでこなくなって。もはや社員になったほうが稼げるんですが……やっぱり歌が諦めきれない。バイト先からせっかく正社員として誘っていただいたのに『うん』とも言えなくて。気づいたら、30歳も手前で」  そろそろ現実を見なければならない。夢とか言ってられる年齢でもない。そんな迷いもあった。目標を見失い、中途半端に過ごしていたときだ。2017年、親友のひと言で一念発起する。 「私の親友で、今は自分の夢を叶えてネイリストになった子がいて。彼女から『香愛は歌どうするの?』って聞かれて。もう諦めようかなって弱音を吐いたんです。そしたら、『ここ何年か何もしてないでしょ。歌ってる姿も声も大好きだから。諦めないで欲しい』って。目が覚めました。夢がどうこう言う前に、そもそも私は何も行動していなかったんです
藤井香愛

16歳の頃、渋谷センター街の「プリクラのメッカ」前でスカウトされ、読者モデルになった

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10年ぶりに立つ神宮球場のマウンド
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明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスとして様々な雑誌や書籍・ムック・Webメディアで経験を積み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi

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