GW行った気分に…世にも珍しい観光地・ウズベキスタン「船の墓場」リポート
ゴールデンウィークなのに、どこにも行く予定のない人、あるいは仕事だという人は、友人のSNSに続々とアップされる海外のメジャーな観光地の写真に、少し嫉妬も入ってウンザリしているはずだ。
そこで、旅行ジャーナリストの筆者(嵐よういち)が、かつてアラル海があったウズベキスタンの「船の墓場」と呼ばれる珍しい場所に行ってきたので紹介したい。
ウズベキスタンと隣国のカザフスタンをまたがるアラル海。かつて世界で4番目に大きい湖だったが、旧ソ連のダメな灌漑(かんがい)政策などが原因で、1960年代を境に水が干上がってしまった。そこは砂漠に変わり、わずか半世紀で面積は10分の1までに縮小した。現在、アラル海は大アラル海と小アラル海に分かれている。
アラル海を観に行くツアーはウズベキスタンのヌクスという都市から3〜4泊のツアーが催行されており、カザフスタンの国境までいくことになる。
・行き方
ウズベキスタンは、旧ソ連にある中央アジアの内陸国。昨年から日本国籍の人はビザが免除になった。玄関口である首都のタシュケントまでの行き方は、東京から火曜と金曜日にウズベキスタン航空の直行便があり、一般的にはソウル経由でアシアナ航空などを利用して行く。
タシュケントからは飛行機でヌクスに移動。目的地はかつて漁村だったムイナクなのだが、ヌクスからは公共のバスなどが1日1本しかないので、車をチャーターするのがいいかもしれない。ちなみに料金は80ドルだった。
ヌクスのホテルを出発し、砂漠のような道を3時間あまり進むとムイナクに到着した。かつて漁が盛んだった町は人が少なく、かなり寂れているように見える。
ムイナクの町や湖畔の村々は干上がる前までは漁業や水産加工産業で栄えたが、かんがい政策で干上がった後は壊滅的なダメージを受け、かなりの数の住民は移住を余儀なくされた。
まずは船の墓場に向かう。高台から眺めてみる。かつて海だった場所は谷底のように深くなっており、現在は砂漠になっている。サビついた船が数隻放置され、まるで砂漠の上に船が浮かんでいるように見え、なにか変だ。ここがかつて海だったという予備知識がないと理解することが出来ない光景だ。
水が無くなったのは人災である。アラル海にはかつてそこに注ぎ込む2本の大河があったのだが、綿花などの農業用水を強引に引いたことによって、どんどんとアラル海の水量が減っていき、とうとう干上がらせてしまった。もちろんこれは国際的な非難をくらい『20世紀最大の環境破壊』と呼ばれている。旧ソ連にとって綿花は軍事産業にも使用される貴重な戦略物資だったが、漁業は重要でなかったのだ。環境や湖畔に暮らす住民のことには全く配慮せずに国策として実行された。
高台にはモニュメントがあり、片側には1960年代当時のアラル海が描かれている。かつてのアラル海と今を伝える解説ボードもある。
高台から階段を降りてみる。観光客は白人と中国人ファミリーなど、5〜6人しかいない。皆それぞれ、記念撮影などをしている。寂しそうに船は放置され、どこか哀れだ。
この場所は砂漠そのもので、そこに自生する植物も育っている。少し離れている場所にも船があるらしく、歩くことにしたが、砂漠を歩くのはなかなか足腰が疲れるし、30度以上の炎天下で太陽熱が砂に反射して暑い。乾燥しているので喉の渇きは思ったよりも感じないが、水分補給を十分にしなければならない。
ようやく船に着いたが、近くで見ると思ったよりも大きい。当時は相当数の魚を積んだのだろう。牛が日差しを避けるために船の日陰で休んでいる。糞の匂いが鼻に付く。
かんがい政策が始まってからの干上がっていくスピードはかなり早かったようで、一晩で湖岸線が数百メートルも後退したようだ。住民はそれを見てどんな気持ちだったのだろうか。
船の墓場は、訪れる前に写真で見ていたが、実際訪れると、やはり違う。そこに悲惨な歴史を感じたことはもちろんだが、それだけではなかった。
この儚い景色は自然が生み出したものではない。かといって、人間が計画的に造った人工物とも異なる。これまで筆者は世界中の砂漠を訪れてきたが、かつて見たことのない「悲惨」と「風化」……不謹慎かもしれないが、そこに美しさを感じてしまうのだった。
ウズベキスタンの消えゆくアラル海、砂漠に残された「船の墓場」
かつて栄えたムイナクは見る影もなく…
今までにない感覚
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旅行作家、旅行ジャーナリスト。著書の『ブラックロード』シリーズは10冊を数える。近著に『ウクライナに行ってきました ロシア周辺国をめぐる旅』(彩図社)がある。人生哲学「楽しくなければ人生じゃない」
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