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日本で初めて三連単が始まったとき。人生二度目のビギナーズラックと違和感<江戸川乞食のヤラれ日記S>

<江戸川乞食のヤラれ日記S>=ここでは昔の話をしよう・2=

 これはまだボートレースが競艇と言われていた時代の話。  住之江競艇場、平成12年(’00年)10月13日初日開催の第4回ブルースターカップ、ここから現在の舟券の主流である三連勝式の歴史が始まった。  その後、住之江に続いて関東では11月1日の平和島競艇場初日開催から三連勝式の発売を開始することが決まっていて、当時はさまざまなメディアで告知されていた気がする。  その前日、競艇客デビュー前の「明日江戸川に競艇を見に行くぞ」と思った日みたいに、そして「三連勝式っていう初めての賭式の舟券を買うんだから、もしかしたらすでに艇歴十余年を余裕で超えてるけど、きっと二回目のビギナーズラックがあるんじゃないか」とかいう甘い期待をしながら、無邪気に次の日を楽しみにしている自分がいた。  そして迎えた11月1日初日の開催。平和島「第45回日刊スポーツ旗争奪レース」……なんの変哲もない一般タイトル戦競走、しかし、客の空気は全く違っていた。  直前まであおりにあおった三連単効果と、初日中央特観が1000円で入れる大サービスがあり、京急平和島駅には朝の通勤客とはまったく違う、ひと目でそれとわかるいでたちの客が朝から降りてきて、雨だというのにみんなイキ巻いて駅前のオケラバス乗り場に一直線に歩いていった。  そしてバス停でバスを待つほとんどの客が誰彼構わず三連単の買い方談義で盛り上がっていた。  一般戦の、しかも朝10時ちょいだというのにSG開催なみの混み具合、いくら三連勝式が本場のみの発売とはいえ、特観席の指定席が1R展示開始前に完売。  みんな欲の皮が突っ張ってますわなぁ……とその時は思っていた。自分もその中のひとりということをきっちり忘れて。 平成12年(’00年)10月13日 第45回日刊スポーツ旗争奪レース 1R 進入固定競走 1 井上 弘  60歳 B1 2 酒井壽賀夫 52歳 B1 3 市川澄男  53歳 B1 4 井上嘉広  41歳 B1 5 内田光信  50歳 B1 6 中野秀彦  27歳 B2 (年齢・級別は当時)  記念すべき平和島での三連勝式発売対象レースのメンバーはこんな感じ。誰だこいつら? と思うか、懐かしさで滂沱の涙となるかは世代によるかと思うけど、この頃の一般戦の初日1Rのメンバーなんかどこもこんな感じで、それは半ばお祭りみたいな三連勝式発売初日でも変化はなかった。  今なら確実にシード戦やA級選手重点の番組で初日の第1レースを飾るのではないだろうか?  失礼を承知で言えば、当時の彼らの評価は終わった選手とほぼ新人の中野秀彦(実はこの中野秀彦、翌年6月に開催された江戸川競艇場の三連勝導入記念競走でデビュー初優勝を決めているというのは何かの因縁か?)あげくに進入固定競走。  特観席の客から「なんだこのメンバーと進入固定って? 江戸川で三連単売るときの練習かこれ?」と不満の声、それでも進入を予想しないでいいぶん、予想は立てやすい。  ざわつく場内が、展示タイムを発表するアナウンスが流れると一斉に静まり返る。  こういう雰囲気を見ると、やはりなんだかんだ言ってみんな博打打ちなんだなと思いながら自分も予想紙に数字を書き入れていた。  展示タイムの発表が終わるといよいよ発売開始。
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記念の準優や優勝戦を見ているような空気感
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シナリオライター、演出家。親子二代のボートレース江戸川好きが高じて、一時期ボートレース関係のライターなどもしていた。現在絶賛開店休業中のボートレースサイトの扱いを思案中

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