「それでもヒロシマが好きだから」 被爆地に残った者の苦労

福島原発事故後、放射線の恐怖に怯える人々が続出している。かつて原子爆弾によって放射線の恐怖を知った先人は、現状をどう見るのか? 今こそ彼らの経験に耳を傾けよ! ◆ヒロシマがやっぱり好き 上野照子さん(81歳) [当時15歳・広島/爆心地から1.5km]  看護学校の生徒として学校で被爆した上野さん。原爆投下後は、日赤病院で救助活動を行っていた。多くの被爆者の手当てをし、患者・同僚と多くの死者を見てきた彼女。長期間、放射線を浴び続けたと思われるが、6年前に白内障を罹った以外は大きな病気にならなかったという。そんな彼女の地元への思いは強い。 「私は広島に60年ずっと住み続けてきました。がんで多くの友達が亡くなりましたが、向こう何年も広島には草木も生えない、住めん土地になるとか言われたここで、私はこうして暮らせております。放射能が怖くないと言ったらウソになるし、できれば離れたほうがいいのかもわかりません。ただ地元を大事に思う気持ちは誰にでもある。福島の人のそんな気持ちも、わかってほしいですね」 ― 長寿被ばく者からの[伝言]【5】 ―
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