なかでも、2017年に亡くなった、ロックンロールの始祖、チャック・ベリー(代表曲に「ロール・オーバー・ベートーヴェン」や「ジョニー・B.グッド」など)は、その象徴的な例と言えるでしょう。
アメリカの音楽サイト「noisey」も、『Why Do We Assume Good Musicians Are Good People?』(なぜ私達は偉大なミュージシャンは善良だと決めてかかるのか? 2017年3月25日配信)と題して、作品と人格の問題を論じていました。コラムの著者、ドリュー・ミラードは、メーカーや生産者に高度な倫理観と透明性を求める“意識高い系の消費者”の声が、音楽業界にも影響を及ぼしていると考えています。
どういうことかというと、たとえば洋服ならば労働者に公平な賃金を支払い、エコフレンドリーな原料を使用しているブランドが好まれるわけです。これを音楽に置き換えると、<もしもミュージシャンが誠実な人柄であると思えたら、私達は好んで彼らの楽曲を聞こうとする傾向にある。逆に言うと、もしも誰かの曲を気に入った場合、その音楽の美点と作者がイコールだと、自動的に決めてかかる部分が私達の中にはある。>(以下すべて筆者訳)
つまり、現代社会においては、ミュージシャンが“よき人物”であることが生産者責任であるとする前提になっているのではないか、というのですね。
ところが、物事はそう簡単ではありません。道徳的な正義と公正が果たされていれば、必ずや作品の完成度が高まる、というわけにはいかない。音楽というあいまいな芸術様式においては、なおさらのことです。
そこで、チャック・ベリーという複雑怪奇な存在について、考えるのです。彼がいなければビートルズやローリング・ストーンズもいなかったほどの決定的な存在でありながら、一方で、自身が経営するホテルの女子トイレに隠しカメラを設置して覗き見をしたり、14歳の少女に売春を強要するなどして、何度も逮捕されてきました。