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去る者の罪を問わず悪事をシュレッダーで刻むような行為を許すな/鈴木涼美

8月28日、安倍首相は会見を開き、持病である潰瘍性大腸炎の再発を理由に辞意を表明。8月24日に首相としての連続在任期間が佐藤栄作元首相を上回り、歴代最長となった直後の辞任劇となった。 鈴木涼美

Baby, one more time/鈴木涼美

 美貌や才能に特に恵まれない者のモテの極意は、「俺/私がいないとダメ」と思わせることで、キャバクラでもホストでも、およそ客がつかなそうだったり弱々しかったりするキャストにはそれなりの需要がある。  私の知人だと、店を通さずに客からお金を引き出す「裏引き」において何度も300万円といったまとまったお金を手に入れていたソープ嬢も、言葉が少なく見た目も地味というタイプで、こういうある種のプライドを捨てた営業ができる人は時に美貌や会話力に優れた者を凌ぐ財をなすので、侮れない一つの能力だ。  この度辞任の意を表明した首相は、そういう意味で多くの庇護欲や愛情をくすぐる能力がとても高かったと、記者会見最中から直後のSNSの民たちを見ていて思った。難病の再発が指摘される体でカメラの前に立ち、懸命に記者の質問に答える痛々しい姿に、「理想のリーダーでした」「本当にお疲れ様でした」「もう記者会見なんてしないでいい」「お大事に休んでください」と清いコメントが大量につけられ、著名人らからもお見舞いの言葉は多く寄せられた。  自ら延ばした自民党総裁の任期をしっかり活用し、首相としての連続在任日数が佐藤栄作を抜いて歴代1位になった政権はその4日後、こうして温かい言葉の中、実質的な幕を閉じたことになる。  そこに集まった言葉は安倍自民党の政策や思想への積極的なイエスとはまた異質の、彼が総理大臣なのか王様なのか社長なのか聖人なのかをあまり問わないような、もっと無垢で純粋な思いのようにも見える。  清くあることを日本人の矜持と信じているような優しい言葉がしかし、大坂なおみの試合ボイコットによる抗議活動に対して毒々しい難癖をつけるのと同じ口から発されているのがどうにも奇妙だ。  体の調子が優れない政権トップのことは記者会見をする必要はないといたわり、差別の現状に「胃がムカつく」者が周囲にかける迷惑は一寸たりとも許せないのはなぜか。信念や思考に基いてではなく、もっと反射的に安易な言葉を発し、コストのかからない祭りに参加する癖ができているようにどうしても思える。  「上の立場の者を尊び敬う日本人」「死者や病の患者に鞭を打たない優しい日本人」と「自分の信念や都合で人に迷惑をかける行為を嫌う日本人」「主張の強い女が嫌いな日本人」などのアイデンティティが、彼らの中で矛盾なく共存し、対象によってどれかしらが都合よく表出する。  そもそも実現しないでもいいものも含めて、「憲法改正」や「北朝鮮の脅威」や拉致問題や北方領土や少子化は、なんとなくというか全然成果が目立たない気がするけど、それはきっと気のせいだし、難病を抱えながらも長期政権を率いた事実が評価されるのは構わないと思う。  ただ、政権が残したいくつかの闇を暴こうとする者たちが、反射的に投げつけられる言葉によって手足を縛られるようなことがないかは危惧しておくべきだ。いなくなった者の罪を問わず、悪事をシュレッダーで刻むような行為は、ドラマや映画のエンディングにあれば美しいが、国家運営には不向きである。 写真/時事通信社 ※週刊SPA!9月1日発売号より
’83年、東京都生まれ。慶應義塾大学環境情報学部卒。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了。専攻は社会学。キャバクラ勤務、AV出演、日本経済新聞社記者などを経て文筆業へ。恋愛やセックスにまつわるエッセイから時事批評まで幅広く執筆。著書に『「AV女優」の社会学』(青土社)、『おじさんメモリアル』(扶桑社)など。最新刊『可愛くってずるくっていじわるな妹になりたい』(発行・東京ニュース通信社、発売・講談社)が発売中

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