ユーミン罵倒発言の的はずれ。安倍夫妻とは昔から仲良しなのだが…
8月28日に辞意を表明した、安倍晋三首相(65)。その会見をめぐって、場外戦が繰り広げられています。
きっかけは、28日深夜放送のラジオ番組『松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD』での松任谷由実(66)の発言。持病を理由に志半ばで総理の座を去る姿に、「見ていて泣いちゃった。切なくて」「夫妻とは仲良し。同じ価値観を共有できる」等と語ったところ、“反安倍”の若手知識人が激しく噛み付いたのです。
政治学者で京都精華大学専任講師の白井聡氏(42)が、29日に自身のFacebookで、「荒井由実のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいい」と記したところ、案の定大炎上。
結局、9月1日に白井氏が当該の投稿を削除し、
「私は、ユーミン、特に荒井由実時代の音楽はかなり好きです(あるいは、でした)。それだけに、要するにがっかりしたのですよ。偉大なアーティストは同時に偉大な知性であって欲しかった」
と釈明したものの、大学側にも抗議が殺到する事態に。
3日には、白井氏がTwitterで「発言の不適切さに思い至りました」「松任谷由実氏に、心からお詫び致します」と謝罪しました。
こと安倍総理となると、なぜか多くの人が感情的になり、支持、不支持の立場の人たちによる過激な舌戦が繰り広げられるのは、おなじみの光景になりました。今回の発言に対しても、批判一辺倒ではなく、少なからぬ共感があったのも事実です。ですが、さすがに「早く死んだほうがいい」は言い過ぎでした。
このように発言がエスカレートする背景には、安倍総理に対して強烈なアレルギーを抱き続けてきた人たちの存在があるのは言うまでもありません。ゆえに、“安倍総理を支持するなど、人倫にもとる”といったコンセンサスが醸成され、一定程度の賛同を得てきた経緯があるのでしょう。
そのうえで、押さえておくべきは、ユーミンの安倍総理に対するシンパシーは、政治思想的なものとは異なるのではないのではないか、という点です。ユーミンと安倍夫妻がかなり前から親しいのは、周知の事実だからです。
ユーミンの楽曲をフィーチャーし、バブル時代に『私をスキーに連れてって』(1987)などヒット映画を連発したホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫社長(66)と安倍総理は、成蹊の小学校〜大学の同期で友人関係。
そのつながりで、昭恵夫人(58)はユーミンの誕生日会にも招かれているそうだし、2017年12月には夫妻でユーミンの舞台を観たあと一緒に食事もしています。
また、昭恵夫人は2015年から「私をスキーに連れてかなくても行くわよ」という’80年代風スキーイベントの主催者の一人。ユーミンが「価値観を共有できる」と言うのは、世代やライフスタイルの面と思われます。
つまり、ユーミンの“涙”は、政治思想の右とか左とかのおおげさな話ではなく、親しい友人の辛い姿にホロッときてしまったぐらいのことと理解するのが自然でしょう。
さて、そこで改めて白井氏の釈明に戻りましょう。筆者が引っかかりを覚えたのは、「偉大な詩人には偉大な知性を期待してしまう」という部分です。“安倍が好きなやつは人間じゃない”って言いたかっただけだろ、とツッコみたくもなりますが、一応額面通りに受け取ることにしましょう。
だとしても、なおそこには拭いきれない違和感が残るのです。それは、作品と人格を同一視して評価してしまう、ある種の病です。
今回のユーミンの場合、白井氏の言葉を借りれば、荒井由実時代にあれだけ素晴らしい楽曲を書いてきたソングライターが、どうして安倍総理と仲良しになるまで落ちぶれてしまったのか、という考えですね。美しい音楽を作る人は、立派な人格者であり、それにふさわしい崇高な人間関係を築かなければならないという理想。全くもって余計なお世話なわけですが、しかし、こうしたファンの抱くイメージを押し付ける形で、作品と人物を同時に崇拝しては勝手に裏切られるというパターンは、少なくありません。
ところが、現実は真逆。よく知られているように、歴史に名を残す芸術家、音楽家、文学者、哲学者の多くは、人格的にはクズです。にもかかわらず、私達はどこかで立派な仕事を成し遂げた人を神聖視したがってしまうのですね。早い話、自分の心を落ち着かせるために、偉人たちのろくでなしの部分を薄めて、彼らの残した仕事を過大に評価してしまう傾向にあるわけです。
ユーミン罵倒に“共感”した人たちも…。白井氏は謝罪
昔から仲良しのユーミンと安倍夫妻
人はなぜ、偉大なアーティストに偉大な知性を期待するのか
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