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映画監督もこなす女優・小川紗良「女優の時期は服もネイルも役に寄せている」

♯5 小川 紗良さん(前編)

 テレビプロデューサー「鈴木さちひろ」が“今後輝いていくであろう女優やタレント”を独自にピックアップする新連載『focus on!ネクストガール』。  小川紗良(おがわ・さら)さん。この涼やかな瞳を、最近、目にする機会も多いのではないだろうか?女優であり映像作家でもある多才な彼女は、若干24歳。11月6日に公開する本広克行監督作品『ビューティフルドリーマー』では主演を演じている。今までに、ボク自身のテレビの仕事でも関わりがあったのだけれど、彼女にガッツリと話を聞く機会は、おそらく今回が初めて。まずは、きっかけから……。 ds_0924_ogawa-2_1

テーマは自分の中でだんだん膨らんでくる感じ

――この業界へ踏み込むきっかけになったのは何ですか? 小川:創る方に関しては、高校の時、行事のドキュメンタリーを撮って、それを友達に観てもらった時に映像で伝える面白さを感じて。それがきっかけですね。女優業は……小さい頃から憧れてはいたんですけど、それも高校生の時。高校が都心にあったから、なんとなく入り口がぐっと近づいた感じがして、雑誌へ応募したり。そこから始めた感じですね。 ――なるほど。小さい頃から好きだった作品はありますか? 小川:すごく鮮明に覚えているのは……たぶん初めて見た映画の記憶なんですけど、保育園の頃に家で両親が『Life is Beautiful』(1997年)を観ていて、それをよく分からずに一緒に観ていたんです。すごい映画じゃないですか……戦争映画ですし、映画というものもその時はまだよく分かっていなかったので、全部が本当だと思っちゃって、夜通しで泣くような感じに。その時、映画の力強さというか真実味みたいなものを感じたことを、強烈に覚えてますね。 ――高校でドキュメンタリーを撮る時に、初めて撮影機材に触った感じですか? 小川:そうですね。機材といっても、家庭用のハンディーカメラ。もちろん編集をしたこともなくて、学校のパソコンに編集ソフトが入っていたんですけど、それをみんなでハウツー本を読みながら手探りでやって……みたいな感じです。しかも学校のパソコンは重くて、すぐに止まったり飛んだりとかしちゃうので、ずっと、それと闘いながらやっていました。 ――出来上がりを観てみて……出来たなぁっていう感じでしたか? 小川:もちろんまだ本当に荒々しいし、完成度がすごく高いわけじゃないんですけど、やっぱり楽しかったな、と。ものすごく大変だし、もう二度とこんなことはしないとも思ったんですけど、やっぱり出来上がりをみんなで観ると、やってよかったなって。そこから今までやり続けている感じです。 ――本格的に作品を撮るようになったきっかけはなんですか? 小川:高校時代に学校の記録映像を創り続けているうちに、だんだん、学校の枠を抜きにして自分で物語を描いて映像を創ってみたいなと思って……「やっぱり映画だな」と。女優業の方でも、映画に出演したりして、現場を見ていたので、何か自分でこれを創ってみたいなと思って。それで、大学1年生の時に映画サークルへ入って、映画を創り始めました。 ――映画を創る時に「こういう作品を創ろう」というテーマは、どこから出てきますか? 小川:何かテーマが降ってくるというより、自分の中でだんだん膨らんでくるみたいな感じで。ずっとあったテーマが膨らんできて、何かのきっかけで「じゃあ、これをいよいよ作品にしよう」と思うんですけど。ひとつ“撮りたい画”のようなものが決まった時に「さあ撮ろう」という風になる気がします。 ds001_0924_ogawa-4_1――例えば、初監督作品『あさつゆ』(2016年)の時は、どういう“画”をイメージしました? 小川:『あさつゆ』の時は「紫陽花がバーってあって、そこにひとり女の子が立っている」みたいな。その画が浮かんだのは、些細で変なきっかけだったんですけど……高校の時、よく行っていたカレー屋さんのメニューの看板に、ある日突然「紫陽花の葉っぱには毒がある」って書いてあったんですよ。いつもはメニューが書いてあるところに、なぜか急にそれが書いてあって。それを見て……紫陽花、好きだったし「えっ?」と思って、パッとその画が浮かんで、映画にしようと……。 ――制作で言うイメージボードみたいな? 小川;そうですね。イメージが浮かんで。
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監督の時は監督に、女優の時は女優に
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武蔵野美術大学大学院卒。テレビ朝日にて番組等のプロデュースを行なう。ほか、作詞や脚本の執筆、舞台の演出・プロデュースなどを手掛ける。
本連載の企画方針は「♯0」をご覧ください。

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