恋愛・結婚

見知らぬ住宅街に放置された酔っ払い。そして訪れた突然の便意…

粒アンコ

第三十六夜 酒と産には懲りるわけない

 人は状況に慣れてしまう生き物だ。  マスクを着けて歩くことも、日に何度も手を洗うことも当たり前になった。  ラーメン屋で一席ごとを区切るように立てられているアクリル板も、デパートの入り口の消毒や出入り口の区別化も最初はうざったかったけど、今ではすっかり慣れた。  同時に、そういう状況下で常にコロナのことが頭の片隅にありながらも夜通し酒を飲むことも日常と化した。あんまり人と接しない外をマスクを着けて歩き、店に入るとマスクをしていちゃ酒も煙草も呑めないので普通に外す。こんなに密度高くて大丈夫か、とか、そんなにマイクに口付けて歌うんじゃないよ馬鹿野郎、とかほんのり思いつつも酔ってしまうとあとは野となれ山となれ。そのくせ帰りのタクシーではきっちりマスクを再装着。こうして書くとなんだか滑稽だ。  毎日の感染者数報告にもさほど驚かなくなって、11月に入ってじわじわとまた増えてきてもいまいち3月ほどの危機感もなく、先日再び都の時短要請がきてようやくむしろ3月よりも危機感を持つべきなんじゃないか、とかはっとする。

東京を徘徊する酔っ払い

 人は状況に慣れてしまう生き物だ。(二回目)  マッチはいつも酔っぱらっている状況がほとんど当たり前になっている人だ。  今までも彼が競馬廃人であることや酒クズであることを散々書いてきたが(第二十六夜第三十夜参照)、ここへきてそのどちらもさらに加速させている。ここ最近では素面のマッチにほぼ会ったことがない。夏競馬が終わって秋競馬のシーズンに入ってから、彼は週末の土日合わせて競馬72レース全てを賭けることに異様な執着を示していて、土曜日にゴルフの予定が入って一日潰れた時などは「今週は36レースしかできねぇじゃねぇか!」と発狂していた。36レースもやれば充分だと思うのだが、たぶん競馬以外のことに時間を使う休日が許せないのだろう。廃人だから。そしてもちろん朝の1レース目からずっと酒も飲み続けている。36レースやりきった頃にはもうだいぶ酔っぱらっているが、そこからまた本格的に酒を飲み始める。一日中酔っぱらっているのだ。 「なるべく長く酒を飲む」、「一回吐けばまた酒が美味くなる」。マッチが大学時代に入っていたビールとウイスキーと日本酒をミックスして洗面器で飲むサークル時代に覚えた言葉だという。ちなみにそのサークルの残党たちは今でもちらほらと当店に現れるが、見事に全員酒クズしかいない。その頂点に燦然と(?)輝いているのがマッチというわけである。泥酔率、暴言率、記憶ない率、寝グソ率、財布とスマホ失くす率、見知らぬ土地でさまよう率、どれをとってもたぶん間違いなくトップだ。  この中で今回特にピックアップしたいのが見知らぬ土地でさまよう率、なのだが、彼はほんとうによく見知らぬ場所に言っている。東京のほとんどの駅には酔っぱらって降り立ったことがあるんじゃないかと思う。反対方向の電車に乗るなんてザラ、乗り過ごして終点まで行くのも普通、折り返しの電車で慌てて下りたら全然違う駅なのも普通、西武池袋線と副都心線を間違えるのも別にたいしたことじゃない。副都心線なんてブラジル人の声が聞こえてきそうなぐらい地中深くにあるのに、気の遠くなるようなクソ長いエスカレーターを下っていることにも気が付かない。酔っているからしょうがない。以上。

梅干し水を飲みながら…

 そんな都内を旅する日常のマッチだが、ある日の土曜日の夕方。  いつものように競馬36レースをやりきったマッチは外へ飲みに出かけた。200倍越えの馬券もいつくか当たって充実感に満ちていた。軽やかな足取りで日本酒飲み放題の店へ向かう。そこで、全種類の日本酒を飲んだ。しこたま飲んだ。あるだけ飲んだ。  それからうちのスナックへやってきた。  へべれけだった。目の焦点が合っていなかった。 「馬鹿言ってんじゃねぇよオヤジぃーー!」  呂律のあやしくなった口で入ってくるなり叫んでいた。誰に向かって言っているのかはわからない。  こりゃダメだ、と思ったわたしたちは梅干しを入れたただの水をマッチに差し出した。  普段は焼酎の水割りに梅干しを入れて飲んでいるけど、たぶんもう気付かない。梅の塩気がいい感じにごまかしてくれる。案の定、マッチは気付かずに「やっぱり酒はうめぇ」と言いながら飲んでいた。しばらくそうして梅干し水を飲み続けていたマッチであるが、途中でスイッチが切れた。突然席を立ちあがり、カウンター席の後ろをふらふらと歩いては、見知らぬお客の隣にぬうっと立ち、半開きの目で見下ろし続ける。またうろうろしては誰かの真後ろに立ち、薄ら笑いを浮かべながらじぃっと見つめる。怖いわ。
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電車でダメならタクシーで
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(おおたにゆきな)福島県出身。第三回『幽』怪談実話コンテストにて優秀賞入選。実話怪談を中心にライターとして活動。お酒と夜の街を愛するスナック勤務。時々怖い話を語ったりもする。ツイッターアカウントは @yukina_otani

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