更新日:2021年03月31日 10:11
エンタメ

『ザ・ベストテン』で12週連続1位の『ルビーの指輪』にお経みたいで売れないとダメだしの過去が

―[クリスのお宝箱]―
クリス松村が大好きなアイドルからシティポップ、歌謡曲まで、魅力的なアーティストをゲストに招き、とっておきの情報や気になっていたエピソードを、楽しいトークから聞き出す「クリスのお宝箱」。今回は、どんなこぼれ話が飛び出す?  今回のゲストは、大ヒット曲『ルビーの指環』の発売から、今年40年を迎える寺尾聰さんです。  最近は、法律事務所のCMでお馴染みの寺尾さんですが、あのCMで流れる『出航SASURAI』は、『ルビーの指環』の前作で、その前に発売された『SHADOW CITY』と合わせて、“シティポップ3部作”となっています。当時、寺尾聰さんは石原プロモーションに所属し、石原裕次郎さんや渡哲也さんとともに、テレビドラマ『大都会』や『西部警察』に出演する人気俳優でした。
寺尾聰

名優そして『ルビーの指輪』の大ヒットで歌手としても知られる寺尾聰さんが登場。2月6日放送の番組を、どうぞお楽しみに!

『ルビーの指環』(1981年2月)は発売から徐々に売上を伸ばし、3月30日付のオリコンシングルチャートで自身初の1位を獲得。音楽番組『ザ・ベストテン』では12週連続1位という最長記録を樹立。その年の日本レコード大賞を受賞します。さらに作詞賞を松本隆さん、作曲賞を寺尾聰さん、編曲賞を井上鑑さんと、楽曲製作者に贈られる3タイトルも独占したんですね。  いまや名優として活躍される寺尾聰さんですが、その音楽の原点に、意外な人物が登場します。

音楽の師匠はジャズピアニストでプロレーサーでプレイボーイ

 寺尾聰さんは、昭和の名優・宇野重吉さんの長男で、1947年、横浜に生まれます。1965年、「ザ・サベージ」を結成し、ベースギターを担当。デビュー曲『いつまでもいつまでも』がヒットするものの、寺尾さんは、グループを脱退し、「ザ・ホワイト・キックス」というグループサウンズに参加。ここで寺尾さんが「僕にとって音楽の師匠」という三保敬太郎(※)さんに出会います。 「譜面も読めなかった僕に、音楽の基本を教えてくれたのが、ジャズピアニストの三保さんでしたね。作曲家で編曲家、さらにプロレーサーで、プレイボーイなど、多彩な人でした。バンドを解散後、三保さんが僕に『風もない午後のサンバ』というボサノバの歌を作ってくれたんです。ボサノバなんて知らない僕に、音楽の面白さを教えてくれたのが三保さんでした。あの人に出会ったことが、その後の『ルビーの指環』につながったと思っています」と寺尾聰さん。
寺尾聰

「そのジャケット写真、西部警察の撮影の合間に撮ったんだよ」と寺尾聰さん

石原裕次郎のひと言で『ルビーの指環』はレコードに!

「ザ・ホワイト・キックス」が解散した1968年、石原裕次郎製作・主演映画『黒部の太陽』で俳優デビューした寺尾聰さん。その後は俳優として映画、テレビドラマで活動を続けてきます。  有名な話ですが、『ルビーの指環』を発売前、石原プロモーションの社長・石原裕次郎さんや小林専務に、歌を聴いてもらったところ、小林専務が「こんなお経みたいな曲が売れるわけがない」と言ったとか。ところが、ヒット曲の多い裕次郎さんは「いいんじゃないの」と見抜くんですね。そのひと言でレコード化が決定し、大ヒットにつながっていくわけです。 『ルビーの指環』の大ヒットで、前作『出航 SASURAI』も、前々作『SHADOW CITY』もヒット! さらにアルバム『Reflections』(1981年)は、80年代の歌謡界で、最大のセールスを記録しました。
寺尾聰

「このLoveという字は合成じゃないんだよ」と撮影秘話を明かす寺尾聰さん

 寺尾聰さんは、彼の音楽のルーツである70~80年代の洋楽ヒット曲をカバーしたライブを定期的に開催しています。横浜で開かれたライブに行ったことがあるんですけど、大人の雰囲気で、とても素敵なんです。番組では、フランクシナトラの『That’s Life』のライブ映像もたっぷりとお届けします。
クリス松村

アルバム『Re-Cool Reflections』は、名盤『Reflections』の同じメンバーによってリアレンジされています

(※)三保敬太郎(みほけいたろう)。1934年東京生まれ。ジャズピアニスト、作・編曲家。7歳からピアノを始め、16歳でプロデビュー。数々のバンドで名ピアニストとして活躍するかたわら、作曲・編曲を中心に音楽活動を行った。日本のジャズアレンジャーの草分けで、TV『11PM』のテーマ、アニメ『おそ松くん』主題歌の作曲者としても有名。一方、レーシングドライバーの国際A級ライセンスを取得し、多趣味で知られ、その個性的なキャラクターを買われてタレントとしても活躍。1986年酒に酔って階段から転落し、その怪我がもとで死去。享年51歳
タレント、音“楽”家(おんらくか)。 邦楽、洋楽問わず、音楽好きが高じて、番組出演にとどまらず、テレビやラジオの番組監修、構成、音楽解説なども手掛ける。TOKYO MX『ミュージック・モア』(毎月第1・第5土曜日午前11時30分放送)ではレギュラーMCを務める。
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