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プロ野球、年俸6億円台は過去に何人いた? 現年俸3500万円の選手も

阿部慎之助(読売ジャイアンツ)2014年

阿部慎之助の野球道

阿部慎之助の野球道(徳間書店)

 松井秀喜に次いで読売史上2人目となる年俸6億円の日本人選手となったのが阿部慎之助だ。’13年シーズンで32本塁打を放ち、3年ぶりに30本塁打を記録するなど、各打撃部門で高い数字を残したこともあって、この年の年俸5億7000万円(これもNPBでは当時、日本人史上3位の超高額年俸であった)からオフの契約更改で翌年の年俸が6億円に到達したのである。  ところが年俸6億円をキープできたのはこの1年のみ。翌’14年はケガや不振に泣かされ、打率2割4分8厘、19本塁打、57打点と成績が低迷し、オフの契約更改で年俸は5億1000万円へとダウン。以後も3億2600万円、2億6000万円、2億1000万円と下がり続けた。結局、’19年を最後に引退することになるのだが、最後の年の年俸は1億6000万円であった。

金子千尋(オリックス・バファローズ)2015~18年

 年俸6億円越えした選手の中で意外と忘れ去られがちなのが北海道日本ハムの金子弌大だろう。登録名・金子千尋でオリックス・バファローズに在籍していた’14年シーズンで最多勝(16勝)と最優秀防御率(1.98)の投手2冠を獲得し、沢村賞まで受賞する。さらにチームはリーグ優勝を逃したものの、最優秀選手に選ばれたこともあって、この年のオフにこのときの年俸2億から年俸6億円での4年契約を結ぶことに。  だが、4年契約の最終年となった’18年シーズンは開幕から自己ワーストの4連敗を喫するなど、わずか4勝に終わった。シーズン終了後の契約交渉ではNPB野球協約の減額制限(年俸1億円超の選手に対しては40%を上限に設定)を大幅に超える減俸を提示されたこともあって、自由契約選手の身となることを選択したのだった。その後、現在の日ハムと契約したが、移籍2年目となった昨季は実力を発揮できず、1勝3敗1ホールド、防御率5.11の成績に終わった。  すると’20年の年俸だった1億8000万円から1億4500万円減の年俸3500万円プラス出来高でサインするハメに。年俸6億円から見事なまでに転がり堕ちた感があるが、今シーズン、どん底からの逆襲に期待したい。
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ギータの“松井超え”はあるか?
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