田代まさしに薬物を売った元売人が語る「週末シャブ中」の実態
2010年10月10日、俺は逮捕された。大体予想はついていた。なぜなら田代が一ヶ月ほど前にパクられたからだ——。
倉垣弘志さんは当時の状況について、著書『薬物売人』(幻冬舎新書)でこう記しています。元タレントの田代まさし氏(現在服役中)に薬物を売った犯人が逮捕されたというニュースを覚えている人も多いのではないでしょうか。
その後、倉垣さんは勾留、起訴を経て3年の実刑判決が確定。刑務所に服役するも約2年後には仮出所しました。
仮出所後も覚せい剤の誘惑を感じた倉垣さんは、離島に移住します。そして、島で偶然出会って一目ぼれした女性と再婚。現在では2人の子どもに恵まれ、薬物とは無縁の健康的で幸せな生活を送っています。
倉垣さんはなぜ、薬物にはまり、売人の道に入ってしまったのでしょうか。そしてどのようにして現在の生活を取り戻したのでしょうか。編集部からの質問状に対する倉垣さんからの回答を元に考えてみたいと思います。
倉垣さんは逮捕当時を以下のように振り返ります。
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田代は横浜赤レンガ倉庫近くの駐車場で、女と同乗している車の中にいるところを、APEC国際会議中の横浜を特別警戒している警官から職質を受け、田代と女の所持品の中から覚醒剤とコカインが見つかり、現行犯逮捕された。
その後、部屋からは大麻約50グラム、覚醒剤10グラム、コカイン8グラムが見つかった。田代が俺以外からも薬物を入手していれば、刑事たちは俺の他にも捜査対象者がいて、探しているかもしれない。しかし所持していた薬物や、部屋から出てきた薬物の量から予想すると、俺が最近売り捌いた量にピッタリあてはまる。
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実際、倉垣さんは逮捕後に検察官から「私が所持していた大麻、コカイン、覚せい剤はクラという男から買い受けたものです」という田代まさし氏と逮捕当時一緒にいた女性の指印の押された調書を見せられました。この調書がきっかけとなり逮捕されていたのです。
また、倉垣さんは逮捕時に刑事から「お前もこれでまともな仕事には就けないな」と告げられていました。その時はピンと来ませんでしたが、留置場に入った後、逮捕のニュースを見たという留置場の看守から、「世間を騒がせたのだから重い罪を覚悟するのが当然」と言われ、ようやくその意味を知ったといいます。
その時から、ニュースで経歴を知られている自分の社会復帰は難しいだろうと考え続ける日々が始まったのでした。
売人仲間のトキさんから「シャブ(覚せい剤)はだめだよ。食わずに売る物だよ」と言われていたにもかかわらず、薬物に依存してしまった倉垣さん。覚せい剤の使用による気分の高揚は、慎重な行動の妨げになるので、真面目なヤクザは覚せい剤を売るだけで自分では手を出しません。実際に自分でも使う売人はすぐに逮捕されていました。
また、周りには覚せい剤が切れると酷い幻覚を見て暴れ回ったり、刑務所を出たり入ったりした挙句、覚せい剤を入手できなくなり、医師から処方された向精神薬の中毒になって母親に手を引かれて歩くほどの廃人になった人もいました。
倉垣さんはこうした恐ろしさを自分自身が一番よくわかっていた。とはいえ、覚せい剤の「シャキーンと気持ちが良く、頭を突き抜けるような感覚」から抜け出せなくなっていたのです。
そこには「自分だけは大丈夫」という気持ちがあったといいます。そして、その慢心が覚せい剤の怖さ、恐ろしさなのだと。
「世間を騒がせた」と看守に言われて
覚せい剤の恐ろしさ
ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。
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『薬物売人』 田代まさし氏への覚醒剤譲渡で二〇一〇年に逮捕され、懲役三年の実刑判決を受けた著者。自らも依存症だった元売人が明かす、取引が始まるきっかけ、受け渡し法、人間の壊れ方――。逮捕から更生までを赤裸々に描く。 ![]() |
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