更新日:2024年09月26日 19:41
仕事

内定辞退した会社が成長、約20年後の後悔「あのまま就職していれば…」

 もしもあの時こうしていれば……。恋愛や結婚、就職、転職、金銭関係など、過去を振り返ってみれば、誰でも後悔のひとつやふたつはあるはずだ。やり直しはきかない。我々は“経験”から学び、今を生きねばならないのである。では、市井の人々が胸に抱える「人生最大の失敗・後悔」とは? そして、その出来事から得た教訓とは? 何かしら参考になる部分もあるかもしれない——。
契約社員

※写真はイメージです。以下同(Photo by Adobe Stock)

 景気や業績などを反映して売り手市場になることもあれば、反対に買い手市場にもなる雇用情勢。特に現在はコロナ禍による深刻な経営不振で新卒採用の数を減らしたり、なかには採用そのものを見送る企業もあるほどだ。今の30代~40代も90年代後半からの就職氷河期、00年代後半のリーマンショック後の就職難のあおりを受けた人は多いはず。 「就職浪人なんてしなきゃよかった……」  プラスチック部品メーカー勤務の矢島勇雄さん(仮名・47歳)も就職氷河期に巻き込まれ、就活に失敗した苦い思い出を持つという。

大手企業への就職が諦めきれず、中小企業の内定を辞退

「現役で大学進学していたら氷河期はギリギリ回避できましたが、2浪したことでモロに巻き込まれてしまったんです。大学3年だった97年の11月、三洋証券と拓銀(北海道拓殖銀行)、山一證券が立て続けに潰れたとき、当時は『へぇ、大変だなぁ』って完全に他人事として捉えていました。  でも、いざ就活を始めるとサークルの先輩から聞いていた話と違い、明らかに厳しくなっている。学生の数はまだ多い時代なのに新卒採用がガクンと減っていました。自分だけじゃなく周りもなかなか内定が出ず、そこで初めてとんでもない事態になったと思いました」  50社近く受けたが、ことごとく不採用。唯一内定が取れたのは、4年の秋に「この際、どこでも構わない」と応募した社員20名程度の中小企業。だが、大企業志向が強かった勇太さん。結局は、せっかく手にした内定を自らの意思で蹴ってしまう。そして、卒業したものの科目履修生として大学に残り、就職浪人することを決めたのだ。 「最初はわざと1科目だけ単位を落とし、留年する方向で考えていたのですが親がさすがに認めてくれなくて。今なら自分も2人の子供の父親なのでわかりますが、ようやく内定が出たのに中小企業だから辞退するってありえないですよね。両親にはめちゃくちゃ怒られ、仕送りも当然ストップ。卒業後はバイトで家賃と生活費を稼ぎながら再び就活を行うことになりました」

就職浪人までしたのに翌年は内定ゼロ

就職活動で何度も不採用 ところが、就活2年目は就職戦線がさらに悪化。そもそも通っていたのは全国的には無名の地方私大。しかも、すでに卒業していたことも大きな不利となり、書類選考通過さえもままならず、前年以上にひどい結果に。  さすがにヤバいと感じてなりふり構っていられず、途中からはあれほど嫌だった中小企業に狙いを変えるも今度は1社の内定を貰うことすらできなかったそうだ。 「それなのに大学をサボりまくって留年した同じ学部の友人が上場企業から内定が出たと喜んでるし、完全に八つ当たりなんですが『なんで俺だけ……』って一方的に逆恨みしてました。メンタルもボロボロで、最後は就活を続ける気力もなくなり、正社員の職を得ることは叶いませんでした
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腰かけのつもりが、気づけば30代……
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ビジネスや旅行、サブカルなど幅広いジャンルを扱うフリーライター。リサーチャーとしても活動しており、大好物は一般男女のスカッと話やトンデモエピソード。4年前から東京と地方の二拠点生活を満喫中。

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