ガレキ処理より必要なこと【女川町の場合】(2)
新聞やテレビの報道では「ガレキ処理をしなければ震災復興は始まらない」という印象を受けるが、本当にそうなのだろうか? マスコミが語らない「ガレキ処理」の実態をリポート!
◆ 「ガレキ処理」よりも必要な復興支援はたくさんある
東日本大震災で被災地となった沿岸部の窮状を尻目に、復興景気に沸いているのが仙台市だ。“復興支援の拠点”として、全国各地から訪れたゼネコン関係者やボランティアらが集結。「週末や日祝日の前日は店に入りきれない」(飲食店経営者)、「震災前よりも乗車率が増えた」(タクシー運転手)と、うれしい悲鳴を上げている。
「復興特需」にあやかろうと、仙台市の繁華街にはキャバクラやスナックの出店ラッシュが続き、価格競争が起きているという。バスと電車を乗り継ぎ仙台市内に買い出しに来た女川町の男性は「作業員たちの飲みっぷりはハンパじゃない。せっかく政府の予算がついても、仙台の歓楽街やガレキ処理を受注した東京のゼネコンに持っていかれてしまう」と語る。
「被災地の近くに宿泊できないゼネコン関係者の予約で、仙台市内の主要なホテルは満室状態です」(観光業者)、「賃貸住宅の需要も急増しています。アパートやマンションの借り上げの相談が頻繁にあります」(不動産業者)。
仙台市内には自治体関係者や環境事業者らが注目する特別な場所がある。市内3か所に設けられた「仮設焼却施設」だ。
「ガレキ処理をめぐって、仙台市が他の自治体に協力を求めなくて済むのは、この仮設焼却施設があるおかげ。仙台市には約135万tのガレキが発生しました。これは市の廃棄物処分量の4年分に当たります。そのとき、阪神・淡路大震災で約2000万tものガレキを約3年間で処理した神戸市から職員が駆けつけてくれ、ガレキ処理に関する助言をしてくれたのです」(環境局職員)
仙台市は、神戸市職員の助言などをもとに沿岸部の被災エリアに廃棄物搬入場所を設け、そこに仮設焼却施設を建設。最初に建設した焼却施設の工期はわずか3か月。’11年12月までに3基の仮設焼却炉がそろい、1日当たり計480t、年間300日の稼働で約15万tの処理が可能となった。東京都が受け入れ表明をしている約50万tのガレキは、被災地で同レベルの仮設焼却施設を3つ造れば解決してしまう。
女川町を襲った津波の高さは約20m。山間部の谷間にまで津波が襲いかかった。高さ10m近くの木の上部に今も漁具がぶら下がり、海からかなり離れた場所まで到達した津波のすさまじさを物語っている。女川原発のすぐ目の前の防波堤は、地盤沈下で一部が沈み、いたるところに亀裂が走り、津波の破壊力の大きさを感じずにはいられない。
壊滅的な打撃を受けたのは観光業だ。原発近くの浜辺は、波が穏やかで人気のあった海水浴場だったが、ガレキが打ち上げられたり、砂浜がえぐり取られていたりして、無残な姿をさらしている。海水浴客など年間約70万人が女川を訪れていたが、今はガレキ処理の見学者か、マスコミ関係者ぐらいしか来訪者はいない。
「もっと高い防波堤があれば、ここまで津波がこなかったはず」
女川原発近くに住んでいた「親戚の1人が今も行方不明」という男性は、悔しそうにつぶやいた。
「また同じような津波が襲ってくるのが一番心配。堤防や盛り土に必要なコンクリート片などは、被災地の女川には、そこらじゅうに転がっている。それを使って、すぐにでも堤防の建設や住宅のかさ上げをしてほしい」と訴える。
テレビや新聞の報道、野田首相や細野環境相らの説明を聞いていると「被災地はガレキまみれ」「復興はまずガレキ処理をしないと始まらない」との印象を受けるが、現実は違うようだ。
⇒ガレキ処理より必要なこと(3)へ続く
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