更新日:2022年10月07日 10:19
ニュース

なぜ、最高裁判決は保守的なのか?「原発をとめた裁判長」が伝えたいこと

司法改革で実現すべきだったこと

(c)Kプロジェクト

――司法制度改革についてはどのような印象を持っていますか。 樋口:司法改革の目玉の一つは裁判員制度でしたが、なぜそれが導入されたかというと、多くの冤罪事件によって、刑事裁判が国民の信頼を失ってしまったからです。 そこで、冤罪事件を防ぐために、国民にも参加してもらう形で審理をするようになりました。しかし、警察・検察が被告人にとって有利な証拠を隠してしまえば、残念ながら冤罪事件は出続けます。本当に司法改革をしたければそこから変えないといけない。 無罪を争う裁判になったら、検察官は手持ち証拠を全て開示しないといけないというようにルールを変えれば済む話でした。取り調べの可視化も冤罪防止の一助になるでしょう。 司法改革のあり方はもっと本質的なところから考えなくてはならなかったのに、完全に間違った方向に行ったと感じています。 ――国の指定代理人に裁判官が就任する判検交流についても否定的です。 樋口:普通に考えたらおかしいですよね。裁判は、すべての当事者が対等な立場であるべきなのに、行政事件の国側の代理人に直前まで裁判官だった人がなったり、そしてしばらくしてまた裁判官に戻るのは、国民の目からは大変異様に映るはずです。 確かに、裁判官は法的な知識も法的な素養も高く国側としては代理人としてふさわしいと思うかもしれませんが、公平の見地からして、弁護士に依頼すべきだと思います。

「先例主義」を疑うことの大切さ

――樋口さんは最初から裁判官を志して法曹となったのでしょうか。 樋口:特に進路は決めずに京都大学の法学部に入りました。それで大学1、2年のうちは遊んでばかりだったのですが、大学3年生の時に手形法の上柳(克郎)先生の講義を受けて法律が面白いと思ったんです。理屈が面白い、万人に通用する論理を展開したり、操ったりすることが面白いと感じました。 それで、大学4年生の就職活動の時期になって、本格的に司法試験の勉強を始めました。 裁判官になったのは司法研修所に入って、純粋に論理に向き合えるという意味で「裁判官に向いている」と思ったからです。 ――では、やはり「論理に忠実でありたい」という思いでずっと裁判官の仕事をして来たのでしょうか。 樋口:そんなこともなかったです。最初の刑事裁判を担当していた2年間は先例主義でした。似たような事件の判例を探してきて、少し応用して判決を書く。ラクですし、初心者でもそれなりには書けるようになります。先例主義はやはり魅力的なんですよ。私自身の最初の2年間がそうで、今は反省していますが、若いうちにその癖がついてそのままになってしまう人も多いと思います。 当時の先輩裁判官からは、「違法ではないが、生きた刑事訴訟法ではない」と言われたことを覚えています。その言葉は「形を整えることに捉われるのではなく、法の精神を体現せよ」という教えだと理解しました。 そして、任官して3年目からは民事裁判を担当することになったのですが、それなりに自信を持って書いた私の起案(※1)は、裁判長によって添削された結果、10分の1も残りませんでした。直された起案を読んで、素直に物事を見て深く考察することの大切さを知りました。以来、裁判官として「物事の本質を見る」ということを常に心がけていました。 (※1)判決として出る前段階の下書きのこと。一番若手の裁判官が起案し、裁判長が手直しをして判決書となる。
次のページ
裁判官に必要な心構え
1
2
3
4
ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。

記事一覧へ
おすすめ記事
ハッシュタグ