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“復興”とは程遠い現実。「無人の町で、家畜と暮らし続けた男性の10年」を描いた理由

「放射能」は使わないように言われて

ナオト、いまもひとりっきり

(C)劇場版 ナオト、いまもひとりっきり

――ちなみに、3.11当時はどこにいたのでしょうか。 中村:成田空港にいて、1日空港から出られませんでした。アメリカのグリーンカード(永住権)を持っているのですが、その手続でニューヨークに戻らないといけないので、飛行機に乗ろうとしていたんですね。それで、やっとの思いで翌日の12日にニューヨークに着いたのですが、現地のタブロイドには「既に福島第一原子力発電所はメルトダウンしている」と大きく出ていました。一方、日本の政府発表では「メルトダウンはしていません」と宣言されていて、おかしいと思っていました。 当時は、フリーランスとして某局のニュース番組を担当していましたが、帰国直後から毎日、震災のニュースを全部英語に翻訳して海外に出さなければなりませんでした。英語のニュースの見出しに「レディオアクティブ(Radioactive)/放射能のある」「ラジエーション(Radiation)/放射線」という言葉は使わないようにする指示があったんです。理由は「不安を煽るから」と。ただ、「放射能」と言えなかったら、「では、何て言えばいいの、これ?」と悩みましたね…。

「除染している」という行為

――取材開始直後の2013年9月にオリンピックが決まりました。 中村:「福島のことは忘れ去られるね」と言いながら、ナオトさんと一緒にオリンピック開催決定のニュースを見ていました。そこから復興事業が凄まじいスピードで始まりました。そして、政府はオリンピックを「復興」の象徴として使いたいということが露骨にわかる動きがありました。 まず、「復興五輪」のために2015年の春ごろ除染が急ピッチで始まりました。屋根や壁を拭いたり、土を変えたりしていましたが、土はともかく、屋根や壁は雨水で洗い流されているので、拭いてもさほど変わりません。また、さすがに山は木を全て切らないと除染できませんが、風の強い日に線量計で放射能の量を測ると数値がブワッと数値が上がってしまいます。でも、国としては「除染している」という行為をアピールすることが大切だったみたいで…。 当時は除去された土が詰められた黒いフレコンバックがいたるところに置いてあって、本当に不気味でした。そこに何十億もかけて作られた鹿島建設と三菱重工業の大きなプレートが掲げられた仮設焼却炉があって、放射能に汚染された土はそこで焼いていました。今はもう仮設焼却炉もフレコンバックもありませんが、結局、全部燃やし切ることができなかったので、残りは全部双葉町と大熊町に運ばれました。
ナオト、いまもひとりっきり

海岸沿いのフレコンバッグ (C)劇場版 ナオト、いまもひとりっきり

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「復興五輪」のアピールのために
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ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。

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