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“復興”とは程遠い現実。「無人の町で、家畜と暮らし続けた男性の10年」を描いた理由

避難指示が解除された先には

ナオト、いまもひとりっきり

(C)劇場版 ナオト、いまもひとりっきり

――映画の終盤では、原発の存在を否定しない地元の人たちの姿も描かれます。 中村:原発は「産業」なので、できてしまえば、雇用も生み出しますし、事故があれば、当然賠償金も出ます。町全体が原発に頼らざるを得ない構造ができあがっていくというか…。 事故から10年以上が経ちましたが、福島の人たちも原発に頼らずに新しい産業をすぐに生み出せるかと言うとそうではありません。確かに、原発によって奪われたものは大きい。かと言って、全て否定できるかというとそうではないです。 また、あまり表沙汰にはなっていませんが、賠償金が原因でトラブルも発生しています。同じ道路を挟んで賠償金の額が全く異なる地域もあります。なぜ道路を挟んでこちら側が避難指示解除準備区域で、向こう側が帰還困難区域なのか、と。前者は制限時間内であれば、立ち入りは自由ですが、後者は許可証がないと立ち入ることはできず、後者の方が空間線量が高いという認定がされているので、当然賠償金は高いです。どこかで線引きしなくてはならないことは事実ですが、それにしても根拠に乏しいというか…。賠償金を一律にしてしまうと、地元の人は団結しやすくなってしまう。なので、わざわざ異なる額にしているのではないかと…。そんなことまで考えてしまいます。 この春、富岡町における避難指示は解除されようとしています。でも、実際には富岡町には3分の1しか帰還していません。避難指示が解除されればもっと多くの人が戻って来るのでしょうか。それは誰にも分かりません。 ただ、「帰れる場所なのに、あなたたちが選択的に外にいるのであればお金を払う必要がない」という論理が成り立つので、避難指示が解除されれば、東電が支払わなくてはならない賠償額が下がることは確かなんです。

原発再稼働の動きがある今

――原発再稼働の動きが活発になっています。 中村:公開に向けて映画の宣伝をしていて感じたことですが、事故から10年を過ぎて、新聞もWebメディアも明らかに注目度が落ちていると感じています。また、新しい産業を見つけ出せず、賠償金に頼らざるを得ない実情や苦悩を描いているという意味で、明確に「反原発」ではないこの映画は上映しにくいと言った劇場関係者もいました。 ただ、原発に反対=左の人、原発に賛成=右の人、というポジショントークには意味がありません。メディアは現地の人たちが置かれている本当の姿を伝えるべきだし、それを全国の人に知ってもらってこれから福島をどうすればいいのかを考えるべきなんです。 確かに、現地では賠償金をもらっているせいか、批判的な声はさほど上がって来ません。「他に産業がないので原発再稼働は仕方がない」と考えている人も多い。また、他の地域の人たちは、電気代が高いので、再稼働はやむなしと考えているのかもしれません。 しかし、震災は天災ですが、原発事故は起こるべくして起こった人災です。そして、事故から10年以上経った今でも、「復興」や「収束」とは程遠い現実があります。にもかかわらず、そのことは忘れ去られようとしている気がしてなりません。過去にあった過ちをきちんと後世に伝えることは大切なことだと思ってこの映画を作りました。 福島の問題は終わってはいません。今の復興に向けての施策が適切なのか、そして、本当に原発を再稼働させて良いのかについてもっと議論すべきではないでしょうか。 トルコで大地震が起こった時、安倍元首相はトルコに原発を売ろうとしていました。日本が原発を売った後、トルコで原発事故が起こっていたら、日本も責任を問われているかもしれません。そして、トルコの地震から程なくして、日本では運転開始から60年を超える原発の再稼働が、国会で決定しました。私はそのことに驚いています。震災大国である日本でもトルコの大地震のような地震がまたいつ起こるか分からないのに、なぜ60年超えの原発を再稼働させることが安全だと言えるのか。想像力の欠如なのか、過去の惨事をみんな意図的に忘れようとしているのか…。今、一度いいので、この映画を見て、原発事故からの12年が何だったのかを考えて欲しいです。 <取材・文/熊野雅恵>
ライター、合同会社インディペンデントフィルム代表社員。阪南大学経済学部非常勤講師、行政書士。早稲田大学法学部卒業。行政書士としてクリエイターや起業家のサポートをする傍ら、映画、電子書籍製作にも関わる。
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