更新日:2024年10月24日 15:17
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地元の中学にいた“有名ヤンキー”と再会。飲みの場で「半べそをかきながら謝罪」させるまで

手の付けようがなかった不良が更生し、今では立派に活躍しているタレントの話が美談として紹介されることがあります。ただ、現実ではそううまくいかず、中高生時代に悪さをしていたときが全盛期で、実際に大人になると悲しい末路を辿っている場合も多くあります。 今回話を聞いたのは、大手建設会社に勤める久能翔吾さん(仮名・27歳)。現在では立派な会社に務めている久能さんですが、中高校生のころは勉強ばかりのいわゆる「陰キャ」。彼女どころか、友達もろくにおらず、寂しい学生生活を送っていました。
勉強

画像はイメージです(以下、同じ)

地元の中学にいた“有名ヤンキー”

「人とコミューニケーションを取るのが苦手で部活にも入らずに、放課後に遊ぶのも一人でゲーセンに行くくらい。よくあんな暗い青春時代で平気だったなと思います(笑)。その反面、良い大学に行って良い会社に入ることを目標に、かなり早くから勉強に力を入れていました」 久能さんの地元は、いまでも普通に暴走族などがはびこっている地方都市。中学ではクラスに何人かヤンキーがいる環境で……。 「いくつかの小学校から生徒が集まるマンモス中学だったので、ヤンキーも多く在籍していました。運が悪いことに、同じクラスには地元で有名なヤンキーAがいたんです。Aは暴力による恐怖政治を敷き、クラスでは誰も頭が上がらない状態。もちろん私もパシリのように扱われ、難癖をつけられカツアゲされていた。ある時は、自分の行きつけだったゲーセンに入るのに、入場料が必要と1000円取られたことも……

「3年間で10万円」とられた

理不尽な要求に疑問を抱きつつ、話の通じない別人種だと諦めてお金を渡していたそうです。そして、図に乗ったヤンキーの蛮行はエスカレートしていったとか。 「自分も含めた数人が目をつけられていたのですが、漫画やゲームを借りパクされるのは当たり前。時には、放課後に地元のマックで席取りをさせられたこともありました。さすがに我慢できなく先生に密告すると、今度は『裏切り者』と呼ばれ金をせびられることに……。結局、3年間で10万円はとられました。進学校を選んだのも、Aでは絶対に合格できないと思ったから。それくらい自分の学生時代のトラウマになっています」
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“住む世界”が変わり、接点がなくなった
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1979年生まれ。雑誌編集者→IT企業でニュースサイトの立ち上げ→民放テレビ局で番組制作と様々なエンタメ業界を渡り歩く。その後、フリーとなりエンタメ関連の記事執筆、映像編集など行っている

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