更新日:2024年02月21日 15:08
エンタメ

“相方がこの世を去った”人気マジシャンの今。「いつかピンで『笑点』に出たい」

「実は1位だった」世界大会の裏側

――日本での実績をひっさげて、1988年にはマジックのオリンピックと言われる「世界マジックコンテスト(FISM) 」に出場。世界の壁はどうでした? ボナ植木:実はそれ以前にも、FISMには挑戦していましたが、1988年は賞をとりにいく覚悟でいったんです。 ――そして見事、グランドイリュージョン部門で3位を獲得されていますね。その時の気持ちを聞かせてください。 ボナ植木:ここだけの話ですが、当時はまだ人種差別がありましたね。ヨーロッパの由緒ある大会に東洋人が参戦してきたのですから。まあ、名前も「ナポレオンズ」でしたので、おふざけで参加していると思ったんでしょうね。日本に来た外国のマジシャンが「徳川家康」と名乗るようなもんですから(笑)。 ――どんな差別があったんですか? ボナ植木:後に審査員から聞かされたんですが、得点では1位だったそうなんです。でも、その時私たちの耳に届いていたのは「似たようなマジックはすでにある」「あれは誰々のコピーだ」など、辛辣な批判を受けました。最終的には「3位ならあげるよ」という上から目線。内心「ふざけんな!」と思いましたね。

無二の相方がいなくなってわかったこと

ナポレオンズ

2021年にこの世を去ったパルト小石氏(写真左)

――そして2021年に小石さんが亡くなられました。影響は大きいものでしたか? ボナ植木:もちろんです。彼はマジックにのめり込んでいませんでしたから、私が「こんなマジックがある」と見せると、冷静な目で批評して「こうした方がいい」とか意見を出してくれていたんです。 ――個人的には、小石さんのリアクションも一つの芸だったように思います。 ボナ植木:そうですね。お客さんを代弁する存在だったので、あいつがリアクションすると、お客さんもリアクションしていました。非常に重要な役割を担っていました。 ――小石さん亡き今、それを埋めるために工夫していることはありますか? ボナ植木:実は私、ソロでの舞台を20年以上続けています。開催は220回を超えていて、そこで私はかなり喋りまくっています(笑)。なので、舞台上で喋ることに抵抗はありませんでしたし、おかげで一人になってもなんとかやっていけています。ただ小石がいない分、これまで以上に、常にお客様の立場になって客観的に見るようにしました。実践を積み重ねながら試行錯誤を繰り返す毎日ですね。
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いつかピンで『笑点』に出たい
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Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

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