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正しさを忘れた渋沢栄一etc.「新紙幣の偉人たち」知られざる“やばい”一面とは

津田梅子の“すごい”エピソード  6才でアメリカ留学し 女性が自立するための学校を作る

つだ・うめこ(1864-1929)教育者。33才のとき日本女性の代表としてアメリカで講演、ヘレン・ケラーやナイチンゲールと会って激励を受けるなど、日本の女子教育の先駆者と評される

海外事情にくわしかった父のすすめで、わずか6才の津田梅子は4人の少女とアメリカへ渡りました。日本人女性初の留学生です。 梅子はアメリカ人夫妻にかわいがられながら国際人として多くを学び、18才で帰国。日本で英語の教師になると、日本が欧米に比べて「男尊女卑」で、女性の地位も教育レベルも男性より低いことにショックを受けます。 そこで「日本にも女性が職について自立するための学校を作ろう!」と国内外の友人たちに寄付を呼びかけ、35才のとき、のちに津田塾大学となる女子英学塾を作りました。梅子の授業は厳しいことで有名でしたが、卒業生の多くが教育者となったことで、全国の女性が高い教育を受け自立できる環境ができたのです。

津田梅子の“やばい”エピソード  科学者の道を捨てて恩師にブチギレられる

女子教育の研究のため、24才で再びアメリカ留学した梅子は、大学で英語と歴史を専攻し、副専攻には生物学を選びました。すると梅子は生物学でも才能を発揮。教授と共同で『カエルの卵の発生』という論文を発表し高い評価を得ました。 梅子の才能を見こんだ学長は「このまま大学に残って科学者の道を選んでは? あなたなら世界で活躍できるわ」とすすめます。当時の外国人留学生に対しては特例の申し出です。梅子は科学の道にもひかれつつも、日本の女子教育のためにキッパリ断りました。すると学長に「あなたがそんな恩知らずだとは!」とキレられ、ケンカ別れとなりました。でも、のちにふたりは和解し、学長は梅子の学校建設に協力しています。 津田梅子
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森鴎外がライバル視した新千円札の北里柴三郎
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