中退や失業により「自分の自慢の息子でなくなった」ことに対する父の怒りは留まることを知らなかったという。その後、いずも氏は転職し、いわゆるブラック企業のサービス業に10年間勤務するが、メンタルを病んでやめてしまう。
26歳の時に、自分と同じような発達障害者の居場所を作り、啓発したいと思い、X(旧Twitter)で発信を始めた。その中で発達障害者も、健常者も来店するバーの存在を知り、1年ほど通う。やがて自分もそういったイベントをやってみようと発達障害バーを開催する。
「盛況でした。バーテンダーとして自分が立って、話しているのが楽しかったです。吃音は残っていましたが、話す練習になりました。今でも発達障害バーは続けていますが、色んな人と知り合えるのが楽しいです。その経験から、発達障害イベントといっても色々な形があるし、『発達障害SPACE BLUE ROSE』と『SPACE』をつけることで、バー以外にも色々なことができる余地を残すような団体を立ち上げました」