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育った家庭に比べれば「芸能界はまともな世界」…人気ギタリストが語る“特殊な”生育歴「日常で母を思い出すことは皆無」

打ち込めるものを探すうちにギターを始める

MiA氏

地元の中学校はヤンキー漫画の世界のようだったという

――進学した中学校も、荒れていたのでしょうか。 MiA:荒れていましたね。新設校だったのですが、先生たちも手探り状態だったようなところがあって、生徒がやりたい放題やっていたように思います。私も一応登校していたものの、午後から行く重役出勤で(笑)。窓ガラスが割れたり、他校との喧嘩があったり、まるでヤンキー漫画の世界ですよね。喧嘩は本当に嫌でした。勝っても負けてもいいことが何一つありませんから。でも参加しないのはもっとダメみたいな空気もあって、何のためにやってるんだろうみたいな(笑)。  でもそんななか、中2でギターを始めたんです。親戚のおじさんがギターをやっていて、その人からいろいろと教えてもらいました。今思えば、家庭環境があまり良くなかったため、打ち込めるものを探していたんだと思います。 ――MiAさんは高校生の頃にはもう、デビューしていますよね。ミュージシャンとしてはかなり芽が出るのが早い印象です。 MiA:そうですね、とても幸運なことに高校1年生のときにとあるバンドのサポートメンバーに選んでいただきました。その後は目黒鹿鳴館でアルバイトをしつつ演奏活動を続けていましたね。通っていた高校は東京都の日出学園(現在は目黒日本大学高等学校に校名変更)で、芸能コースが有名な高校でした。何より楽だったのは、家族と顔を合わせなくて済むことですね。同じ芸能コースの友人の自宅に居候しながら通学していたので(笑)。結局、プロとしての活動も本格化したため、高校も半年ほどで退学するのですが、現在でも当時の仲間と集まるし、私にとっては居場所の1つなのかもしれません。

育った家庭に比べれば「芸能界はまともな世界」

――当時から研鑽を重ねて、多くのミュージシャンからの信頼を得てこられたMiAさんは、生き馬の目を抜く芸能界という場所で輝いておられます。ご自身が育った家庭環境が、そうしたタフネスを作り上げたようにも感じますね。 MiA:「話の通じない人間が家庭内にいる」という状況は、修行という観点からは悪くなかったのかもしれません。というのは、やはりどこに行ってもそういう人間は一定数いますよね。でも大切なことは、自分がしっかりやるべきことをやって、結果を残して、認められていくことだと思うんです。  育った家庭に比べれば、激動といわれる芸能界すら、まともな世界だと感じます。なぜなら、基本的には努力をすればしただけリターンがある世界だからです。いつ、どうして母親が怒るのかまったく理解できない私の家庭には、それがまったくありませんでしたから(笑)。今はただひたすら、あの家を出られて良かったなと思います。こうしたインタビューでもない限り、日常で母を思い出すことは皆無です(笑)。
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憧れていたアーティストたちとの共演を増やしていきたい
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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