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統合失調症の姉を南京錠で監禁した両親。“家族という存在”を20年追い続けた監督の「真意」

帰省したら「ピザの箱が50箱も出てきた」

どうすればよかったか?

映画『どうすればよかったか?』(C)2024動画工房ぞうしま

――シーンではイカリングなど、食事のシーンがとても印象的でした。 藤野:そうですね。わりとご飯を作っているところは撮影していましたね。実は、母が父よりも早く認知症の症状が出始めたため、料理を作れなくなってしまったんです。それで父が料理を作ったり、簡単な惣菜やお弁当を買ってきたりしていました。  ただ、これもある種の認知症の影響だと思うのですが、実家に帰省したとき、父が物を捨てられなくなっているのに気づいたんです。姉がピザ好きだった影響もあるのか、帰省したらなんとピザの箱が50箱くらい出てきました。捨てればいいのにと思ったんですが、何かに使えると思ったのか、それらをしまい込んでいたんです。とても驚きました。 ――藤野さんは一度住宅メーカーに勤務されてから、日本映画学校に入学されています。ある意味では安定を捨てるような大きな決断だったと思いますが、なぜ踏み切れたのでしょうか? 藤野:実は大学4年生のとき、アニメーションのスタジオなどを受けたことがありました。でも、実写映画に挑戦する自信はなかったし、ドキュメンタリーもよくわかりませんでした。ただ、絵を描くことが好きだったので、自分に一番向いているのはアニメーションかなと思い、いくつか挑戦しましたが、1次選考で全て落ちてしまったんです。それで、「もう映画やアニメの仕事をすることはないだろう」と思い、すべて諦めるつもりで就職しました。  神奈川方面の会社に就職し、営業の仕事をしていましたが、ある日、お客様のところに向かう途中で偶然、日本映画学校の前を通りかかったんです。そのとき、「自分には無理だろうな」と思っていたものの、営業の仕事が正直しんどかったこともあり、思い切って願書をもらいに行きました。実家のこととは関係なく、「映画の仕事に関わる道があるのではないか」と考え、専門学校に通う決断をしたんです。

19歳のときに衝撃を受けた「作品」

どうすればよかったか?

映画『どうすればよかったか?』(C)2024動画工房ぞうしま

――これまでで最も影響を受けたドキュメンタリーは? 藤野:小川紳介監督の『1000年刻みの日時計 牧野村物語』です。19歳のときに札幌で上映されているのを観ました。非常に長いドキュメンタリーで、昼から観始めて劇場を出たときにはもう外は真っ暗になっていたのを覚えています。  あれを観て、それまで自分の中だけで考えていたことが、実は自分の知らない世界には全く違う考え方をして生きている人々がたくさんいることに気づきました。小川監督は13年ほど牧野村に住み込んで撮影されたそうですが、どうしたらそんな長期間にわたって、こんな作品を撮ろうとするのだろうと、本当に考えさせられました。 <取材・文/シルバー井荻>
平成生まれのライター、編集者。ファミマ、ワークマンマニア。「日刊SPA!」「bizSPA!フレッシュ」などの媒体で執筆しています
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【公開情報】
どうすればよかったか?』は、ポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町、横浜シネマ・ジャック&ベティ、第七藝術劇場ほか、全国順次公開中
(C)2024動画工房ぞうしま
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