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渡部陽一氏が見た、シリア難民間の「格差」

シリアに飛び火した民主化運動“中東の春”だが、独裁者アサド大統領の激しい弾圧によって多くの犠牲を今も出し続けている……。祖国から脱出した難民たちは何を思い、日々を暮らすのか。戦場カメラマン・渡部陽一が現地に飛び、シリア難民の真実に迫る!

⇒【前編】はコチラ http://nikkan-spa.jp/217240
「渡部陽一氏、シリア国境で兵士20人に囲まれる!」

◆難民でありながら悲壮感がない!?

 ヨルダンとシリアの国境の街・ラムザの街中には、家族や友人、知人とクルマに乗り込み、難を逃れたシリア人が大勢いました。

「アサドは嫌いだが、オレたちはシリアを愛している!」

 若者たちは口々にこう話し、皆決まってシリア国旗(バアス党政権以前のもの)のバッジや、国旗のカラーのミサンガを誇らしげに見せてくる。脱出するまでの道中、シリア国内の街々に設けられた検問で「大部分の持ち物を取られた」と嘆くが、ほとんどの人が携帯電話だけは持っていました。

シリア人青年

彼らがシンボルとして掲げるバアス党政権前のシリア国旗を模したバッジを得意げに見せるシリア人青年。取材中、こういったバッジやミサンガをプレゼントされた。

 20日余りこの地でシリアへの入国を試みたが、結局は叶いませんでした……。だが、取材を続けると、興味深い発見がいくつかあったのです。ラムザの警察署の裏通りにはボロボロのクルマが数多く停めてあり、署長室は脱出したシリア人、ジャーナリスト、治安関係者、そしてブローカーなどで溢れ、周辺のあらゆる情報が集まっていました。携帯電話を“死守”していたのは家族との連絡はもちろん、シリア人はヨルダンでビジネスをしようとしていたからです。難民キャンプとは違い、彼らにあまり悲壮感が見られなかったのは、こうしたポジティブな姿勢があったからでしょう。

(※シリア難民キャンプの様子はこちら⇒http://nikkan-spa.jp/217240)

 日々、押し寄せてくる難民の多くは自家用車に乗っているが、たまに大型の観光バスが来ます。中を覗くと驚くことに、乗客全員がファミリーでした。中東では大家族が多く、家族を大切にする心は日本人には考えられないほど強い。「子供が殺されるから、逃げてきた」という彼らの言葉は当然のようにも思えますが、独裁国家では家族に反逆者が1人でもいれば一族郎党が皆殺しに……だからこそ大家族の全員が一緒に国外に脱出しているのです。また、海に囲まれた日本と違い、彼らは国境の意識が薄い。

若い母子

若い母子の姿もよく見かけたが、一見して難民とは思えない

 大家族はシリア近隣の国々に散って生活を営み、国が乱れた今は国外の家族や親戚を頼って“一時避難”しているのが実態のようです。彼らは着の身着のままで脱出した「難民」とは違い、ある程度のマネーや財産を持ち出しており、“一時避難”ゆえに前述の若者同様、悲壮感はそれほどありません。

 街を取材していると、親日的なシリア人によく声をかけられました。ヨルダンにはメンサフという祝い事で出される伝統料理があり、営業していた店もあったのです。

「腹減ってないか? 奢ってやる」

 まさか一時的とはいえ「難民」の人にご馳走になるわけにもいかず、一方イスラムには客人をもてなす教えもあり、断るのに苦労しました(苦笑)。ただ、そんなシリア人のバイタリティが、近い将来、独裁者を退け、新しい国をつくっていくだろうと確信したのです。

メンサフ

危うく奢られそうになったヨルダンの名物料理・メンサフ。スパイスの効いたピラフに、ヨーグルトで煮込んだ羊肉がのり、非常に美味。日本円で1500円ほど


【渡部陽一】
わたなべよういち●戦場カメラマン。大学時代から数多くの紛争地帯を取材し、訪れた国と地域は130以上にのぼる。イスラム圏を得意フィールドとしている

― 渡部陽一が潜入[動乱のシリア]難民たちのリアル【2】 ―




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