シャッフルされた長編ドラマ=アテテュード――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第237回(1996年編)
ショーン・マイケルズの突然の王座転落と“大穴”サイコ・セッド政権誕生、そして“ヒットマン”ブレット・ハートの8カ月ぶりの戦列復帰でどうやらWWEの長編ドラマはいったんシャッフルされた。
1996年の最後のPPV、12.15“イン・ユア・ハウス12/イッツ・タイム”(フロリダ州ウエスト・パーム・ビーチ)は、ウエスト・パーム・ビーチ・オーデトリアムに5708人の観客を動員した。
WWEはこの年、“ビッグ5”といわれる“ロイヤルランブル”“レッスルマニア”“キング・オブ・ザ・リング”“サマースラム”“サバイバー・シリーズ”の5大PPVに加え、ミニPPV“イン・ユア・ハウス”を7イベント開催。年間12大会のPPVをプロデュースした。
PPVイベントの受信料金(当時)は“ビッグ5”が29ドル95セントで、“Bショー”とカテゴライズされる“イン・ユア・ハウス”シリーズが19ドル95セント。ライバル団体WCWも同年、PPV12大会を開催したが、ハルク・ホーガンが出場する大会(27ドル95セント)と出場しない大会(24ドル95セント)とで2パターンの受信料金が設定されていた。1997年からは“第3団体”ECWもついにPPV市場に参入してくることになる。
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