エンタメ

コロナ離婚した“芸人の嫁”の独特すぎる半生「芸能界を辞めて養豚場で働いた」

 某人気お笑い芸人と“コロナ離婚”したことを発表、それをネタにテレビ番組の出演を増やしている小林礼奈さん(28)。自身の生活を赤裸々に書き綴ったブログが話題を呼び、ネットニュースで名前を見かける機会も多々。
小林礼奈

人気お笑い芸人の元妻で、メディア出演の機会を増やしている小林礼奈さん

 そんな彼女はいったい、何者なのだろうか? 地下アイドルを経てものまね芸人に転身。そして、一時は芸能活動を休止して養豚場で働くなど、その独特すぎる半生に迫った。

年間6万円しか稼げなかった地下アイドル時代

小林礼奈 高校卒業と同時に芸能界へ入るため、新潟県から上京後すぐにアイドル事務所に所属した小林さん。自らネットで検索して見つけた事務所に応募し、いわゆる“地下アイドル”をしていたという。 「撮影会中心の典型的な地下アイドルでした。ソロアイドルだったけど、途中で変なユニットに入れられそうになったこともありました。どれだけ撮影会を行っても給料は1年間で6万円しかもらえませんでしたね」  多い時は週3回も撮影会に出演していたが給料は満足にもらえず……。居酒屋や弁当屋のアルバイトで生活費を稼いでいた。 「まだ10代で芸能界の仕組みがよくわかっていなかったので。活動ができるだけで、ただうれしかった。お金なんてもらえるはずがないって、思い込んでいたんです。社長にも『お前なんか絶対売れねぇよ』って。ギャラはこっちから『ください』って言わないと1円も支払ってもらえなくて。だんだん違和感が大きくなって、ここにいたらダメだって。事務所を辞めようと思いました」  この失敗から「大手に所属して、ちゃんと芸能界に入らなければいけない!」と改めて思い返した。片っ端から大手事務所を受け、その結果、太田プロを選んだという。

転機となった“AKBあっちゃん”のモノマネ

「オーディションであっちゃん(元AKB48・前田敦子さん)のものまねをしたら結構ウケたんです。当時は超ものまねブームで。広末涼子さんのものまねで人気だったおかもとまりさんが憧れでした。それに乗っかりたいと思って、太田プロに決めました」  事務所は本人が望む通りの戦略を立ててマネージメントしてくれたという。だが、ものまねを始めて2年が過ぎた頃、彼女は大きな壁にぶち当たった。 「おかもとさんがブレイクするきっかけにもなった『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』に出演できたんです。何千人と受けても10人ぐらいしか受からないので、念願が叶った形ですが……。キンタロー。さんと一緒に受かったんです」  番組内で同じネタでふたり同時に出演するのは異例だったという。その後、キンタロー。さんがブレイクを果たしたことはご存知のとおり。“AKBあっちゃんのものまね”と聞いて、キンタロー。さんを思い浮かべる人は多いだろう。 「オーディションの時点であっちゃんのものまねをする人は他にもいました。ものまね芸人あるあるなんですが、みんな常に新しいネタを探していて、結局ものまねする人が被ってしまうんですよ。その時に人気の人、マネしやすい人、キャッチーな人から選ぶと、だいたい同じ人に辿り着いてしまう。それで、ものまねの世界は厳しいなって。私が一生できる仕事じゃないのかもしれないなって思い始めたんです」  前田敦子さんのほか、宮﨑あおいさんや、小島瑠璃子さんなど、様々な有名人のものまねに挑戦したというが「あっちゃんのものまねしかオーディションに受からなかった(笑)」と話す小林さん。そして、「私は何をやってるんだろう……」と中途半端な自分に対して疑問を抱くようになったという。 「もともと25歳までには結婚したいと思っていたんです。その時、21歳。あと4年しかないと思ったら、“やりたいこと”を全部やり切らなくちゃって」
次のページ
芸能活動休止、どうしても養豚場で働きたかった
1
2
ライター兼底辺グラドルの二足のわらじ。著書に『最底辺グラドルの胸のうち』(イースト・プレス)、『現役底辺グラドルが暴露する グラビアアイドルのぶっちゃけ話』、『現役グラドルがカラダを張って体験してきました』(ともに彩図社)などがある。趣味は飲酒、箱根駅伝、少女漫画。X(旧Twitter):@sally_y0720

記事一覧へ
おすすめ記事