『経済の掟は田沼意次から学べ!』は本当に正しいのか?歴史学者の見解
経済政策、憲法改正、Z世代の困窮etc. 日本人が抱えている大問題の解決策を、歴史から紐解いていく「呉座式・日本史フルネス」。 著書『応仁の乱―戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)が48万部の大ベストセラーとなった歴史学者・呉座勇一氏が、現代と過去を結びつける“未来志向の日本史”を丁寧に解説する。
今の日本の突破口とは? 気鋭の学者が読み解く重厚な歴史の流れから、最善策を見出していく。
水野忠邦の天保の改革(1841~)は、株仲間解散という規制改革と、厳しい倹約令の発令という緊縮財政の二本柱であった。現代の経済政策に例えると、小泉構造改革に近い。結局、水野の改革は失敗に終わった。
では、正反対の路線をとっていればうまくいっただろうか。緩やかな物価上昇を是とする「リフレ派」と呼ばれる経済学者・評論家の間では、幕府老中の田沼意次に対する評価が高い。
いくつか例を挙げれば、経済評論家の上念司氏は「意次は『経済の掟』でいうところの『自由な商売』を奨励し、公共事業によって干拓や道路整備などを進めることで初期資本主義のインフラを整備しようとしました」(『経済で読み解く明治維新』KKベストセラーズより抜粋)と、その「重商主義」を称賛している。小説家の百田尚樹氏に至っては、「もし意次が失脚せず、彼の経済政策をさらに積極的に推し進めていれば、当時の経済は飛躍的に発展していた可能性が高い。そうなると日本は世界に先駆けて資本主義時代に入っていたかもしれない」(『日本国紀』幻冬舎より抜粋)とまで述べている。
賄賂政治家と非難された田沼意次の再評価は大石慎三郎氏(『田沼意次の時代』岩波書店)をはじめ、歴史学界で既に行われてきた。けれども近年のリフレ派による田沼評価は、礼賛の域にまで達しており、違和感がある。そもそも、しばしば目にする、三大改革=緊縮財政、田沼政治=積極財政という分類が乱暴すぎる。
過大評価が相次ぐ 田沼意次の経済政策
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1980年、東京都生まれ。日本中世史を専門とする歴史学者。’16年に刊行された『応仁の乱‐戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)は、48万部を超えるベストセラーとなり、歴史学ブームの火つけ役に
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