日本第3戦の地、クイアバのスタジアムにひと足先に行ってきた
―[ブラジルW杯現地レポ]―
ナタウでの観戦を終え、第3戦の地クイアバにひと足先に入った記者。内陸部に位置するクイアバは過去2戦を戦ったレシフェ、ナタウの北東部の2都市より、気温が低いかと踏んでいたが、30度をゆうに超える気温。湿度こそ低く、カラッとした印象はあるが、それでも直射日光のあたる日なたにいると、滝のように汗が噴き出してくる。
- スタジアムへと続く道。非常に整備されていが、人っ子ひとりおらず不安を覚える
- スタジアムが見えてきた!
- 質素な住宅街を抜けていく
- コンパクトだが、奇麗なスタジアムだ
- 南側ゲート前には「クローク」が
- 14年に新設されたスタジアム。W杯時は48,000人収容に増席されているが、本来は28,000人規模のスタジアムだ
- 併設の「トカチンス体育館」。トカチンスとはオオハシのくちばしを意味する
- 周辺には飲食店がたくさん
- 北ゲート前には生ビールが飲める店も
- 北ゲート前の目の前のバー。直前の試合のテレビ観戦もできる
- 正面(北側ゲート)
- 正面ゲート。ナタウと比べると非常に良い印象を受けた
- スタジアムから徒歩5分ほどのバス発着所。レシフェは徒歩20ほどのところにあったので、非常に助かる
- 周辺は仮設トイレも豊富。ブラジルには公衆トイレがないのでこれも助かる
- 気炎を上げるボスニア・ヘルツェゴビナサポーター。夜にはナイジェリア×ボスニア・ヘルツェゴビナ戦が行われた
- 南側ゲート横には鳥居が。日系の人の美術品マーケットだと思われる
―[ブラジルW杯現地レポ]―
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