砂漠で出会った青年と二人旅――小橋賢児「旅での出会いは、心の本質に気づかせてくれる」
2015年の夏、日本中でもっとも熱かったダンスミュージックフェスティバル「ULTRA JAPAN」は、一人の男の熱狂から始まった。周囲の反対を押し切って開催したイベントは成功し、巷間に伝導したころ、その男はバックパック一つでひっそりと旅立つ。
【僕が旅に出る理由 第8回】
砂漠で出会った青年とはひょんな事からしばらく一緒に旅をすることになった。
旅は道連れともいうが、昔は先輩や大人の中にまじって一番下の若造でいた僕が、今は半分も年下の青年と一緒に旅をしているなんて、ちょっと面白いし、そう悪くない気もしたからだ。
ジャイサルメールを後にし、次に向かった先はプシュカルという小さな街。
ここは創造主ブラフマーの聖地とあってヒンドゥー教はもちろん、意識の高い欧米人にもよく知られた場所みたいで街に入るやいなやこれまでの街の雰囲気とは明らかに違っているのはすぐにわった。
街の真ん中には湖があり、その周りを囲むように狭い路地が通っていて、聖地巡礼者や長期滞在の見るからに意識の高そうな人々を数多く見かける。
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路地に並んでいる店の雰囲気や売られている商品やレストランなども長期滞在の欧米人のセンスが反映されているようで、品揃えも食事の味も旅行者には割と合う感じのものが沢山あった。
しかし日本のガイドブックではあまり重要な地として触れられていないせいか、ボロボロのローカルバスを乗り継いでしか行けないせいか、ほとんど日本人の姿は見かけず、この辺りから日本のガイドブックとロンリープラネットのような海外のガイドブックの違いを明らかに認識するようになっていった。
そもそもこの地へ出向いたのも、インドに詳しい友人が突然連絡をくれてオススメしてくれたからで、そうでもなかったら完全に見落としていた場所であった。最初は軽く1泊のつもりで出向いたのだが、あまりにその土地に肌感があうので思わず延泊してしまった。
というのも、訪れる外国人もほとんどが長期の滞在者ばかりなので、短期の旅行者を騙してせしめてやろうなんてガツガツした商売人も路上の物乞いもほとんどいない。ゆっくりとした時間が流れていたし、その小さな街の両端には小高い山が二つあって、片道一時間もかからずに登れるので毎日登っては素晴らしい夕焼けを拝む事ができた。旅の途中の休息地としてはとてもありがたい感じであった。
もちろんそんな場所でも、少し気を抜くと「インドな感じ」はいつでもやってくる。
路上を歩いてふと横の店が気になって止まると、いきなり後ろからどーんとつつかれたと思ったら牛に激突されたり、湖に沐浴を眺めにいったら、突然、知らないおじさんにこんな特別な日にくるなんて祝福されてますなー!とお祈りがはじまり、そのままの空気にのまれていると、最後にはお布施といい高額の金銭を要求されたりなんてことはやはりある。
「家に帰るまでが遠足」と子供の時によく言われたように、旅も完全に終わるまでは決して気を抜いてはいけないものだと再確認させられる。
もう少し長く滞在したい気持ちもあったが旅の期限は3ヶ月。惜しくもこの地は数日だけの滞在になったが、丘の上で青年と眺めたその夕陽はこの旅一番と思えるくらい今も僕の目に焼き付いている。
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その後はいわゆるインドの観光名所ゴールデントライアングルと言われるジャイプル、アグラ、デリーをまわった。
やはり観光地になると、土地の空気やそこに流れる時を味合うことなく、目的地だけをなぞる団体ツアー客が大量に押し寄せるせいか、人の思惑のエネルギーというのが複雑に絡みあっている気がした。観光客目当ての商売人も客を捕まえては、過ぎ去り、また新たな客を捕まえる。押し寄せる観光客もそこで出会う商売人もただ去りゆく人にしかすぎないのだ。
だから同じ人間であろうともお互いの事なんて知ろうともせず、無情なほどにただ人と人がすれ違っていく。3ヶ月というのはインドを知るにはとても短いが、短期間の旅行者よりは、この辺りの事が客観的に見えるようになってくる。
たまにインドの北側でインドが嫌いになる人がいると言われるが、例えばピンクシティとして有名なジャイプルで一生に一度は見たい!と言われる「風の宮殿」なんて、実際に見ると想像より遥かに小さくて横から見るとハリボテみたいだ。
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思っていたそれとは明らかに違う。立地にしても目の前の道路は車やリキシャのクラクションで騒々しく、反対側の道を渡るだけでも初めての体験なら生死をかけたチャレンジなんじゃないかって思うくらい、360°から乗り物、人、牛がやってくる。一生の憧れでその場所を過大に美化し、時間をかけてそこへ出向たとしたら、その想像と現実のギャップで落胆するかもしれない。
でも、旅というのは見方を変えてその土地の持っているものを受けいれれば面白い事や発見もある。
同じジャイプルにあるインド一と言われる大きさの映画館は、壮大なミュージカルが出来そうなほど巨大な空間で、何よりも観客の反応が凄くて映画が始まる前も途中も常に大声で笑ったり拍手したりで映画の内容よりも面白い!と思えるほどでインド人の映画の鑑賞方法におどろかされた。
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時には街角にある美味いラッシー屋を巡りするなんてのも悪くない。
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タージマハールがあるアグラでは偶然にも到着したのが満月の夜だったので、「満月の夜」特別鑑賞ツアーなんてものに参加した。
しかし、特別ライトアップされている訳でもなく、霧が凄くてほとんど見えず期待外れではあった。そんなとき、たまたま列の前に並んでいた日本人のおばちゃんに「どこから来たの?」なんて質問をされた……。
僕:東京です。
おばちゃん:東京のどこ?
僕:住んでいるところですか?
おばちゃん:違う産まれよ!
僕:東京の大田区ですが…
おばちゃん:大田区のどこ?
僕:(なんでそんな細かいところまで聞くんだろう?とか思いながらも…)大森ですが…
おばちゃん:大森のどこ?
僕:大森西でした。
おばちゃん:あんたもしかしたら八中?
僕:えっ八中ですが…(なんで知っているのだろうか…)
おばちゃん:わたしも八中よ!
僕:えーーーー凄い!!!
ここまで細かく聞かれたことは初めてだったし、今でもそんな偶然なんてあるのか信じられないけど、満月のタージマハールを見た事よりも自分の倍くらいある年齢の同じ学校の先輩にこんな場所で出会えた奇跡の方がよっぱど価値があった。決して想像と現実が違ってもガッカリすることはないんだと旅は教えてくれる。
その後まわったデリーはいわゆるバックパッカーの入り口とあって想像していたよりも逆にエネルギッシュで少しワクワクもした。
その中でもバックパッカーが集まるパハールガンジは独特な雰囲気を醸し出していて、こここそ見方によってまるで違う風に感じるんだろうなぁという場所であった。おそらく旅の初心者ならあまりにもカオスな世界で平気で嘘をつく物売り達やガサツな雰囲気に圧倒されてインドの旅が不安になるだろうし、旅慣れた人にとっては手にいれようと思えば何でも手に入る場所でもあるのでそこは天国にうつるかもしれない。
青年も旅のスタートにこの地に訪れたそうで興奮したような口調で…
「半年前にきた時はこの雰囲気に圧倒されて、近寄ってくる物売りも路上の物乞いみんな怖かったのですが、今はむしろカワイイと思えるくらい全く怖くもなくまるで違う世界に見えます!」
旅というのは人を成長させてくれるし、もしかしたら僕もこの地にくるまでに様々な事を通り抜けたからこそ、目の前に起きていることに動じなくなってきていたのかもしれない…
初めてインドにきた10年ほど前はまだ旅にも慣れていなくて、街歩く人々や物売りや物乞いの人々を恐る恐る眺めていたのを思い起こす。正直同じ人間とは思えないほど目の前で起きている人々の生活が非現実に見えて、こんな場所に一人でなんか絶対来れないなぁっと思っていた。
でも、そんな僕が今、何故あえてインドを選んでいるのか…
3ヶ月あれば、世界の絶景ばかりを見にいけるし、頑張れば世界一周でも出来てしまう。でも何故かインドであった。
5ヶ月のブッダガヤのNGOのボランティア生活を終えた青年がこんな事をいっていた。
ブッダガヤの下宿所に入った時から生活の全てが変わりました。
日本では当たり前のように自分の周りにあったものがインドでは全てなくなりました。
沢山あった服がたった三着になり、
毎日みていたテレビがなくなり、
毎日当たり前に日本で食べていた食事も、
綺麗なトイレも、
温かい風呂につかることも出来なくなりました。
最初こそ抵抗がありましたが不思議と月日が経つにつれ
それが自然の生活スタイルになっていたんですよね…
確かに日頃の慣れたしんだ生活から離れ、そこでの未知な体験は生きる上での全ての価値観を変えてしまうくらいな事がある。そういう意味でこのつかみ所のないカオスなインドは物事の本質を見極めるにはやはり最適な場所だったかもしれない。
もし、それらのことを「自分探し」と呼ぶならそれでもいいだろう。
でも、それが「自分探し」だとして、それは若者だけがするべきものだろうか?
自分を見つけられて本当の自分らしく生きている大人がこの世にどれだけいるだろうか?
毎日どこか自分の心をごましては周りに同調を求めて楽しいフリをして
生きてはいないだろうか?
きっと大人なればなるほど、自分が本当にやりたい事よりも、近しいコミュニティで自分がどう見られるかばかりを気にしてしまい、そういう習慣や社会の固定概念から抜け出せなくなっている人が日本には沢山いるのではないかと思う。
且つての僕もそうだった。本当はこうなりたい!こうしたい!こういう風に生きたい!と思っても、「自分は芸能人だから我慢しなくてはならない。忙しいのだから我慢しなくてはならない。将来のために、周りのために、ファンのために…』
言い出したらキリがないほどに自分意外の周りの環境を理由にしては出来ない理由を並べて日々をごまかしていた。
それは俳優を休業して、今のように自分で会社を経営してある程度時間をコントロールできるようになったとしても、またその空気は押し寄せてくる。
一緒に仕事している仲間、取引先、家族、恋人、数えあげたらキリがないほどに周囲の時間軸や社会の常識というものに自分が飲み込れそうになっていく。よく、お前は海外ばかりいっていいよなぁっとか、自由人で羨ましい!とか言われるけど、実際にはこう旅している間にも24時間途切れることなく、日本をはじめ海外の取引先とはやり取りしているし、もちろん離れていたら仕事にならない!と思われる方との仕事などは失うので会社を経営する身としてはリスクを承知の上で行動している。
ただ一つ言えるのは、毎日会社に出勤したり、毎回会って打ち合わせしないと仕事が成立しない今の日本の風潮とは反して、海外ではテクノロジーをうまく使いこなし、遠い国同士の相手との仕事がどんどん行われ、離れている時間をうまく使いインプットを増やして良いアイデアを生んでいる人々も少なくない。
実際、僕の知り合いでもLAとアイスランドの距離でiChatとSkypeを上手く使いこない、映画の編集をゆうにこなしていた。朝LAにいる編集スタッフに指示をだし、その後アイスランドの広大な雪山をすべり、戻ってきた時にはある程度編集が出来上がっている。雪山でリフレッシュしたので思考はさらにクリアーになり、次の指示も的確だし、更なる素晴らしいアイデアも付け足されたいた。
旅をしていると実にこういうスタイルの人達に多くあう。
彼らは携帯やPCを持ち歩きながら、異国の地を訪れ、人にふれ、文化にふれ、自然にふれ、そこから得た本質的なインスピレーションをもとに、また新たなものをつくりだしては、世の中に貢献していっている。
例えば日本でもTABIPPOという世界一周をしたメンバー数人で創業した会社は「旅するオフィス」を理念に旅をするならいつでも休んでよい、出社日も時間 も仕事場所も自分で決めていいという制度をとっていながら、会社としてはどんどん成長をしているし、四角大輔さんや安藤美冬さんのように世界中を旅しながらクリエイティブな仕事をしているノマドワーカーはどんどん増えていっている。
21世紀初頭、アメリカがインドや中国にアウトソーシングを始めたように、今後は人だけではなく、コンピューターや様々なテクノロジーが人間の変わりをしていくだろう。
そうなると、与えられたものでひたすら働くだけのような職業は全てそれらに代替えされ、逆にアイデアを産みだすクリエイティブな人材がもっと必要になってくるのではないかと思うし、空気や間を読み取れる日本人はその中でも重要な役割を担うのではないかと思っている。
だからこそ、目の前のリスクを承知でも、今改めて生きる上での本質を見極めるべきだと感じ、今こそ僕は旅に出る必要性があると感じたのかもしれない。
もちろん世界中のエンターテイメントを見にいった方がタメになるかもしれないし、実践的かもしれない。実際、僕もインドを選ぶ前はニューヨークに行こうとも考えた。
でも、待てよと。
人生や世の中に大事な事ってもっとシンプルで本質的な事なんじゃないか?
本質的な事が身をもってわかってなければいくら外側のエンターテイメントをつくりあげても、それは人々の心に残るものにはならない。だからこそ、このインドという荒波に大人になった今だからこそ塗れてみたかったということが、インドを旅しながら少しずつわかってきた。
そして、僕とここにいる青年とは旅の目的が違うが、短い時間でも共にインドを旅したことや経験を共有した事で、はっきりと過去の自分達とは違うという事にお互いが気づき始めていた…
青年がインドを離れる最後の夜、こんな手紙をくれた。
言葉でいうだけでは伝わらない事もあると思い、手紙を書こうと思います。
思い出すと、とても長い間一緒に旅をしていたように感じます。
楽しかったことはあっという間に過ぎるとよく言われますが僕は違うと思います。
長かった、長い間過ごしたという感覚は、同じ一週間でも、長く感じた分だけ長生きできているんじゃないかと思います。
プシュカルで一緒に見た夕陽は一秒一秒を感じいているようで長く感じました。
色々なお話をきき、生きるって今を感じ続けることなんじゃないかと思いました。
きっと世の中には死んでいるかのように生きている人はたくさんいて、そういう人たちが、自分の生きている目的が無いということに気づいてしまった時に自殺してしまったりするのではないでしょうか。自殺する人がとても多い日本はそんな国だと思います。
けんじさんがされている事を全部はわかりませんが、けんじさんがしている事は若者が世界に飛び出すきっかけづくりだけではなく、死にそうになっている人を変えることもできるかもしれないし、人の悩みは解決できなくても、その人たちが苦しみを忘れるほど笑顔にすることはできるのではないかと、見せてくださったULTRAの映像で感じました。
僕のこれからやっていくことは、世界中の死んだように生きて考えるのをやめてしまった人の中に虹色の輝く光をわたしてちょっとだけ幸せになってもらうことです。
虹色の光は何かは今はわかりませんが、スマイルはそれに近いと思います。
おかげさまで僕の旅が変わりました。
ありがとうございます。
またお会い出来る日を楽しみにしています。
青年が気持ちこめて手書きで書いてくれたこの手紙が今も僕の心に染み付いている。
こちらこそ一緒に旅出来たことでその後の旅が変わりました。ありがとう。旅での出会いは、心の本質に気づかせてくれる最良の薬かもしれない。
インドの旅はまだまだ続く…
●小橋賢児(こはしけんじ)
俳優、映画監督、イベントプロデューサー。1979年8月19日生まれ、1988年、芸能界デビュー。以後、岩井俊二監督の映画『スワロウテイルバタフライ』や NHK朝の連続小説『ちゅらさん』、三谷幸喜演出のミュージカル『オケピ!』など数々の映画やドラマ、舞台に出演し人気を博し役者として幅広く活躍する。しかし、2007年 自らの可能性を広げたいと俳優活動を休業し渡米。その後、世界中を旅し続けながら映像制作を始め。2012年、旅人で作家の高橋歩氏の旅に同行し制作したドキュメンタリー映画「DON’T STOP!」が全国ロードショーされ長編映画監督デビュー。同映画がSKIPシティ国際Dシネマ映画祭にてSKIPシティ アワードとSKIPシティDシネマプロジェクトをW受賞。また、世界中で出会った体験からインスパイアされイベント制作会社を設立、ファッションブランドをはじめとする様々な企業イベントの企画、演出をしている。9万人が熱狂し大きな話題となった「ULTRA JAPAN」のクリエイティブディレクターも勤めたりとマルチな活動をしている。
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