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ビンスと馬場さんの日米トップ会談――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第96回

週刊プロ レス

1990年1月、ビンス・マクマホンがなんの予告もなくいきなり来日。4・13“日米レ スリング・サミット”東京ドーム大会の開催をアナウンスした。(写真は「週刊プロ レス」1990年2月13日号=№361表紙より)

 ビンス・マクマホンがなんの予告もなしにいきなり日本にやって来たのは1990年1月のことだった。ビンス、ジャイアント馬場・全日本プロレス社長、坂口征二・新日本プロレス社長の三者が合同記者会見を開き、4・13“日米レスリング・サミット”東京ドーム大会の開催を発表した(1990年1月29日)。

 アントニオ猪木はこの前年の1989年(平成元年)7月、参議院選に出馬して99万3989票を集めて初当選し、日本初の“国会議員レスラー”となった。猪木は新日本プロレスの社長のポジションを退き、引退を表明した坂口が新社長に就任。坂口政権の誕生は日本のメジャー2団体の歩み寄りというまったく新しい展開を生んだ。

 馬場、坂口の両社長は1月4日、都内のホテルで会談し、協調路線について具体的な話し合いの場を持った。新日本プロレスが2月に開催する東京ドーム大会には当初、NWA世界ヘビー級王者リック・フレアーをはじめとするWCW主力勢が出場する予定だったが、新日本プロレスとWCWとの交渉が決裂。

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新日本プロレスは急きょ全日本プロレスに協力を要請

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