更新日:2022年07月07日 19:01
スポーツ

ビンスと馬場さんの日米トップ会談――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第96回

 新日本プロレスは急きょ全日本プロレスに協力を要請し、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、谷津嘉章、タイガーマスク(三沢光晴)、スタン・ハンセンの5選手の2・10“90スーパーファイトIN闘強導夢”東京ドーム大会出場が決定した。  かねてから日本市場への本格参入を計画していたビンスは、WWEの単独興行という形ではなく、日本国内の“受け皿”として全日本プロレスとの接触を試みた。ビンスにとって“ババ・ザ・ジャイアント”はかつてニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンで一世を風びした伝説のレスラーで、馬場にとってビンスは“先代マクマホンのせがれ”。馬場は、チェックのスーツに蝶ネクタイというお坊ちゃまのよそおいでガーデンのバックステージを走りまわるティーンエイジのビンスの姿を記憶していた。  1970年代から1980年代前半まで日本でWWEと業務提携を結んでいたのは新日本プロレスだったが、ビンスは新しい時代のビジネス・パートナーとしてあえて全日本プロレスに協力を求めた。ビンスにとって猪木は「父親をダマそうとしたプロモーター」で、新日本プロレスからみればビンスは「せっかく育てたホーガンを盗んでいったプロモーター」だった。  馬場はWWEとのドッキングではなく、あくまでも全日本プロレス、新日本プロレス、WWEの3団体合同での“日米レスリング・サミット”の開催を望んだ。  全日本プロレスの主力メンバーが新日本の東京ドーム大会に出場し、新日本の主力メンバーが全日本&WWFの東京ドーム大会に出場する。これが馬場プロモーターが考えるところのギブ・アンド・テイクの法則だった。全日本プロレスと新日本プロレスの協力関係とその継続性は、WWEによる日本市場進出プランに対するケン制にもなっていた。
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来日したビンスは、馬場とトップ会談
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