ビンスと馬場さんの日米トップ会談――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第96回
新日本プロレスは急きょ全日本プロレスに協力を要請し、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、谷津嘉章、タイガーマスク(三沢光晴)、スタン・ハンセンの5選手の2・10“90スーパーファイトIN闘強導夢”東京ドーム大会出場が決定した。
かねてから日本市場への本格参入を計画していたビンスは、WWEの単独興行という形ではなく、日本国内の“受け皿”として全日本プロレスとの接触を試みた。ビンスにとって“ババ・ザ・ジャイアント”はかつてニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンで一世を風びした伝説のレスラーで、馬場にとってビンスは“先代マクマホンのせがれ”。馬場は、チェックのスーツに蝶ネクタイというお坊ちゃまのよそおいでガーデンのバックステージを走りまわるティーンエイジのビンスの姿を記憶していた。
1970年代から1980年代前半まで日本でWWEと業務提携を結んでいたのは新日本プロレスだったが、ビンスは新しい時代のビジネス・パートナーとしてあえて全日本プロレスに協力を求めた。ビンスにとって猪木は「父親をダマそうとしたプロモーター」で、新日本プロレスからみればビンスは「せっかく育てたホーガンを盗んでいったプロモーター」だった。
馬場はWWEとのドッキングではなく、あくまでも全日本プロレス、新日本プロレス、WWEの3団体合同での“日米レスリング・サミット”の開催を望んだ。
全日本プロレスの主力メンバーが新日本の東京ドーム大会に出場し、新日本の主力メンバーが全日本&WWFの東京ドーム大会に出場する。これが馬場プロモーターが考えるところのギブ・アンド・テイクの法則だった。全日本プロレスと新日本プロレスの協力関係とその継続性は、WWEによる日本市場進出プランに対するケン制にもなっていた。
この連載の前回記事
【関連キーワードから記事を探す】
ドリー・ファンク・ジュニア、最愛の弟テリーと1983年のプロレス界を語る
パチンコ店の来店イベント復活なるか。“1時間150万円”のギャラを払っていた時代を元ホール関係者が語る
「アントニオ猪木の後継者」を巡る因縁…当事者が対峙した1986年の凄惨マッチ
アントニオ猪木黒幕説も…「1999年の不穏マッチ」凶行を巡る“当事者の証言”
失明、骨折の凄惨決着…アントニオ猪木「壮絶すぎたガチンコ試合」の舞台裏
ドリー・ファンク・ジュニア、最愛の弟テリーと1983年のプロレス界を語る
ザ・デストロイヤー “白覆面の魔王”はニッポンのセレブリティー――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第18話>
ウィルバー・スナイダー サイエンティフィック・レスラー ――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第17話>
ボボ・ブラジル “黒い魔神”のアイアン・ココバット”――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第16話>
ドン・レオ・ジョナサン 天才レスラーは“記憶”のなかの映像――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第9話>
ビンス・マクマホン 世界征服と開拓のパラドックス――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第100話(最終話)>
バディ・ロジャース 本格派ヒールのチャンピオン像――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第5話>
ビンス・マクマホンが“世界征服”に成功した日――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第336回(2001年編)【完結】
ビンス・マクマホンのXFLにアメリカじゅうのメディアが大騒ぎ――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第333回(2001年編)
エリック・ビショフ=ビンス・マクマホンになれなかった男――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第319回(1999年編)
この記者は、他にもこんな記事を書いています