ビンスと馬場さんの日米トップ会談――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第96回
1・21PPV“ロイヤルランブル”オーランド大会から1週間後に来日したビンスは、都内のホテルで馬場とトップ会談をおこない、日本公演のプランニングを具体化させた。
ビンスは、4・13“日米レスリング・サミット”を2・23NBC特番、4・1“レッスルマニア6”につづくスーパーイベントと位置づけていたが、“レッスルマニア6”のメインイベントがハルク・ホーガン対アルティメット・ウォリアーの“世紀の一戦”であることをなぜか日本サイドには伝えなかった。
4・1“レッスルマニア6”のタイトルマッチで王座移動が起きた場合は、ホーガンではなく新チャンピオンのウォリアーがWWE世界ヘビー級王者として“日米レスリング・サミット”のリングに登場することになる。
馬場はホーガンとアンドレ・ザ・ジャイアントを東京ドーム大会の目玉商品ととらえていたが、ウォリアーというレスラーの実力と商品価値をはじめから疑問視していた。
馬場―ビンスの協力関係は“日米レスリング・サミット”で一話完結となり、WWEは翌1991年、新団体SWSと新たに業務提携を結んだ。ビンスがWWE単独での日本公演“マニア・ツアー”を開催するのはそれからさらに3年後の1994年5月のことだった。(つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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斎藤文彦
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