マクマホン家の長女ステファニー、衝撃のデビュー!――フミ斎藤のプロレス講座別冊WWEヒストリー第312回(1999年編)
3.28“レッスルマニア15”のメインイベントの再戦としてラインナップされたストーンコールド対ロックのWWE世界戦(4.25PPV“バックラッシュ/イン・ユア・ハウス”=ロードアイランド州プロビデンス)は、いつのまにかビンスとシェーンの“権力闘争”のドラマにすり替えられていた。
シェーンはこの日、ストーンコールド―ロック戦の特別レフェリーをつとめ、政治力でストーンコールドの腰からチャンピオンベルトをひっぺがす作戦に出た。しかし、レフェリーの権限による“没収試合”という形でタイトル預かり=王座空位を画策したシェーンの暴挙にストップをかけたのはほかならぬビンスだった。
チャンピオンベルトの持ち逃げを企てたシェーンをKOしたビンスは、試合終了後、オフィシャル版とドクロ仕様の2本のベルトをストーンコールドにプレゼント。ベビーフェースになったビンスは東海岸エリアの観客からやんやの喝さいを浴びた。
いっぽう、マクマホン家と対立するアンダーテイカーは同日、K・シャムロックとシングルマッチで対戦。シャムロックの“MMA殺法”に悩まされながらも、最後は十八番ツームストーン・パイルドライバーで辛くもフォール勝ちを収めた。
試合終了後、アンダーテイカーはリムジンの運転手に“変装”し、ステファニーを誘拐してそのまま逃走した。ステファニーを人質にとったアンダーテイカーは翌日、4.26“ロウ”ハートフォード大会でビンスに対して“WWEの全権”とそれを証明する契約書(委任状)の提出を要求した。
“傷心の父”ビンスはストーンコールドに娘の救出を依頼し、ストーンコールドもいったんは「Hell No!やなこった」とこれを拒否したが、番組後半では観客の期待どおりストーンコールドがステファニーをMODの“生贄の儀式”から奪還してみせた。
ステファニーの出現は、ビンスとストーンコールドの人間関係ドラマをさらにディープで複雑なレベルに昇華させたのだった。 (つづく)
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文/斎藤文彦 イラスト/おはつ
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