更新日:2017年04月29日 12:16
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毛を一本ずつ抜く血まみれの苦行…武士のチョンマゲに隠された秘密

一本一本抜きました。それも木製の毛抜で

 ところで皆さん、そんなハゲ部分の月代ですが、どうやって整えたかご想像つきます?  刀で剃った?  ブブー!  専用の剃刀があった?  ブブッ、ブブー!  答えはなんと、木製の毛抜で一本一本抜いたのです!なんという恐ろしい所業。  これは江戸初期の風物を記した『慶長見聞集』にも、その様子が「黒血流れて物すさまじ」と記されています。昔の武士は毎日激痛に耐え、血だらけになりながら頭頂の毛を抜いていたのです…。そりゃ切腹なんて文化が生まれてくるワケですよね。  ただ、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた頃からはカミソリで優美な形に整えられるようになり、日本男子達もやっと血だらけのゾンビ状態から解放されます。  こうした苦行が背景にあったからでしょうか。合戦を前提とした月代という髪型は、「いつでも主君のために戦える!」という意思表示でもありました。月代を剃らないということは主君をないがしろにし、自分は武士ではないと言っているようなものだったのです。  それこそが、江戸時代にも丁髷(ちょんまげ)と月代が続いた理由であります。

東洋の神秘・SAMURAI

 江戸時代は徳川幕府により260年も平和な世が続きました。  ただ、いくら平和だったとはいえ、社会の根本システムは武力による封建体制。侍は弱体化したとの声に抗うように、彼らは常に帯刀し、日々文武両道に励んで月代を剃り、武士道精神を重んじていたのです。  いつでも戦うぞ!そんな心構えが残っていたためでしょうか。幕末に異国が次々と来航した時も国を守ることができたのかもしれません。  腰には刀を差し、頭のテッペンには鉄砲を載せている日本男児。  ペリーをはじめ、日本に来航した欧米列強の面々にとって、そんな武士の姿は、さぞかし威圧的な姿だったでしょう。  彼らの目には、まさに「気が満ちた」東洋の神秘に映ったかもしれません。

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