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“関節技の鬼”藤原喜明「プロレスはセックスみたいなもの。裸のつき合いは深い」――最強レスラー数珠つなぎvol.15

――この連載では、「強さとはなにか」を探っています。組長が思う強さとはなんですか。 藤原:強さったって、いろいろあるよ。お金の力とかな。政治力だとか、筋力だとか、持久力だとかな。勃起力だったりな。……これが言いたかっただけだけど(笑)。強さっていっぱいあるんだよ。でも強いっていうのは、いろんなルールに基づいてるから。将棋だってそうだろ? あれは決まりがあるから、勝ち負けが決まる。勝ち負けに関してはそうだけど、強さとはなにかって聞かれてもなぁ。  ちょっと答えは違うかもしんないけど、ルールに基づいて、勝ったもんが強いんだ。だけど、努力ばっかりじゃ強くなれないからね。努力で村一番にはなれても、日本で一番とか、世界で一番にはなれない。DNAだよ。努力しましたって言ったって、努力できるDNAかもしれないし。だから強いからって、偉いとは限らないよ。年取ると、いろんなことが分かってくる。ガンをやってから、余計にな。 ――58歳のとき、胃ガンを患って手術をされましたね。 藤原:ステージ3だったからね。「あ、俺、死ぬんだな」って思った。どうせ死ぬんだったら、カッコよく死んでやろうと思ってな。4日目に抜糸してもらって、それから管いっぱい入れたまま点滴担いで、階段を上ったり下りたりしてさ。そしたら看護婦さんが驚くわけよ。ざまあみろ、俺はプロレスラーだ! まあ、残念ながら死ななかったけどな(笑) “関節技の鬼”藤原喜明の素顔 抗ガン剤治療、大変だったんだよ。2年間、毎日飲んだからね。最初の8か月間は強烈なやつ。フラフラするし、目はかすむし、練習しても筋肉がつかないんだよ。新しい細胞ができないようにする薬だから。ガン細胞もできないかもしれないけど、筋肉もつかないんだ。いくらトレーニングしても力がつかない。けど、一回死んだ人間は強いよ。なにもおっかなくないしね。もう心の準備はできてるから。 ――プロレス以外にも、絵画、陶芸、俳優業など、多才でらっしゃいます。すべての活動は繋がっているのでしょうか。 藤原:繋がってるとか、そういうことを考えてるわけじゃなくて、楽しいからやるの。それだけの話だよ。人生は一度きりじゃん。好きなこと、全部やったほうがいいよ。いま盆栽の本でも連載してるし、『週プロ』で身の上相談もやってるし、『プロレス/格闘技DX』で小説も書いてるし、忙しくて大変だよ。でも、面白いからやってるだけの話でね。人生は楽しく。ちょっとだけ厳しくな。 “関節技の鬼”藤原喜明の素顔
“関節技の鬼”藤原喜明の素顔

組長が製作した文鎮、名付けて「文チン」。火を点けると、煙が射精の如く飛び出す

――プロレスとは、プロレスラーとは、どういうものでしょうか。 藤原:プロレスラーは、強くて当たり前。プラスアルファだよ。いくら「俺は強いんだ」って言ったって、お客さんがつまんないなと思ったら、二度と来てくれないからね。でもね、本物はやっぱり綺麗なんだよ。藤原敏男さんのハイキックだって綺麗だしな。本物は美しい。美しいから、お客さんが来る。 ――いまのプロレス界はいかがですか。 藤原:俺の口からは言えないよ。まあ、俺らが教わったのとは、ちょっと違うかな。でもプロなんだから、お客が入れば正義なんだよ。 ――最後に、次の最強レスラーを指名していただけますか。 藤原:前田は? あいつ、気難しいらしいぞ。ヘンなこと聞くと、すぐにカチンと来るから。 ――前田日明さん……! 今度、UWFの本を出版されるそうですね。 藤原:UWFなあ。いろんな奴がなにも知らねーくせに、エラそうに書きやがって。嘘ばっかりだよ。俺らが糞だと言うんなら、あいつら銀バエだよ。糞に寄って稼ごうとしてる。だから前田が怒っちまってさ。ちゃんと俺が書くって言って。次のレスラー、前田しかいないな。 ――ありがとうございました。  藤原の自伝『覚悟 人生60年、覚悟が生死をわけた!』(ビジネス社)に、カール・ゴッチが藤原に宛てた手紙の一部が掲載されている。 「貴君はまだ若い。わたしのように年老いてしまうとなにもうまくいかない。エラが亡くなってから、わたしはすべてのことに興味を失い、途方に暮れている。なにもする気が起きず、だれにも会う気になれない。ジャンゴがいてくれることを神に感謝しなければならない。ジャンゴもよくわかっていて、ずっとわたしのそばに寄り添っている。」(1995年12月28日) 「犬がいつもそばにいてくれればロンリーではない。わたしは七歳のころからいつも犬を飼ってきた。貴君もピットブルが好きだそうだな。ひょっとしたら、それはわたしの影響なのだろうか。ピットブルほどすばらしい犬はいないからね。フジワラよ、ベスト・コンディションを維持することを忘れるな。」(1996年5月19日) 「もう、犬も飼っていない。犬がいない生活は退屈で、気が狂いそうになるが、いまのわたしの腰のぐあいでは犬の世話もできなくなってしまったのだ。わたしの人生にひとつだけ残っているものは、ほんの少しのトレーニング時間だ。毎朝、六時三十分に起床し、一時間だけ運動をする。これができなくなったら、わたしもおしまいだろう。これはお別れの手紙ではないよ。みなさんによろしく。」(2002年7月22日)  ピットブルは凶暴な闘犬だ。しかし、飼い主への忠誠心が強い。スパーリングをしていた藤原と佐山に、ゴッチは「ピットブルみたいだな」と言ったという。その言葉は、無茶をするなという忠告であると同時に、忠誠心溢れる弟子への愛だったに違いない。  アメリカから帰国後、藤原はピットブルを飼い始めた。もちろん、ゴッチの影響だ。16歳まで元気に生きた愛犬マックスと、82歳でこの世を去った師のことを、藤原はいまでも懐かしそうに話す。 【PROFILE】藤原喜明(ふじわら・よしあき) 1949年、岩手県和賀郡(現・北上市)生まれ。黒沢尻工業高校を卒業後、会社勤めをしていたが、23歳のとき新日本プロレスに入門。入門して僅か10日でデビュー(対藤波辰巳戦)するも、前座生活が続く。31歳のとき、米フロリダのカール・ゴッチ道場への武者修行が実現。関節技の技術を磨き、帰国後は新日本道場で前田日明ら多くの若手レスラーを鍛え抜く。1984年、“長州力襲撃事件”をきっかけにブレイク。その後、UWFに参加し、UWF解散後は藤原組を旗揚げする。サブミッションレスリングに傾倒し、その実力者ぶりから「関節技の鬼」として知られる。 <取材・文/尾崎ムギ子(@ozaki_mugiko) 撮影/安井信介>
尾崎ムギ子/ライター、編集者。リクルート、編集プロダクションを経て、フリー。2015年1月、“飯伏幸太vsヨシヒコ戦”の動画をきっかけにプロレスにのめり込む。初代タイガーマスクこと佐山サトルを応援する「佐山女子会(@sayama_joshi)」発起人。Twitter:@ozaki_mugiko
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ゴッチ式トレーニング

没後10年「ゴッチの愛弟子、師を語る」


◆「関節技セミナー」
毎月開催中! 詳細は藤原組ブログ(http://fujiwaraf.exblog.jp/)にて。
※次回:11月18日(土)

◆『プロレス/格闘技DX』
http://dx-sp.gsj.bz/view.page/menu/index/?
月額324円(税込)。プロレスの試合結果、イベント情報、レスラーのコラムなど、充実の携帯サイト。藤原喜明は「レスラーズダイアリー」にて、毎週金曜日にコラムを公開中!

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