ISIS×フィリピン国軍による銃撃戦後の生々しい傷跡<現地レポート>
“ISIS” とスプレー書きされたシャッターは無数の銃弾にえぐられていた。警戒に当たる兵士以外は人の気配がまったくない。――11月21日、フィリピンのTV局取材班に協力を得た私は、彼らと行動を共にしていた。軍と報道のコンボイが車列をなし、今回の戦闘でメインバトルエリアとなった市街地を走る。
壁という壁がえぐられていた。屋根には砲弾による穴が開いている。
5か月に渡る戦闘が、そこに錆と苔と雑草の荒廃した世界を作り上げていたのだった。
これがフィリピン国軍とISIS MAUTE(アイスィス マウテ ※彼らがそのように自称していたので、本記事ではISIS MAUTEと表記する)の激しい戦闘が繰り広げられたマラウィ市、メインバトルエリアの姿だ。メインバトルエリアとは、おおよそ1km四方の市街地で、その南側はラナオ湖に面している。
10月23日に国防長官により戦闘終了が宣言された。安全が確認されている地域では避難住民の帰還が始まっている。しかし、メインバトルエリアに住民が戻るのはずっと先になりそうだ。エリア内には未だISIS MAUTEが残したIED(即席爆発装置)や地雷が残されていると言われており、まずは解除・撤去をしなければならない。また地下にはISIS MAUTEがトンネルを構築しているのが確認されている。その探査、安全の確認もしなければ住人は帰還できない。国防長官はマラウィ市の復興には約500億ペソ(約1100億円)が必要と見積もっている。
果たして、ISIS MAUTE とは一体何者なのか。何が目的でマラウィを武装占拠したのか。今回の事件でISIS MAUTEは殲滅したのだろうか。
フィリピンISISのリーダー、イスニロン・ハピロン。ミンダナオ島を拠点のひとつとする武装組織 Abu Sayyaf Group(アブサヤフグループ)のリーダーからISILのリーダー、アブー・バクル・アル=バグダーディーに忠誠を誓いフィリピンISISのリーダーになった男だ。この男の家がマラウィ市内にある。驚くことに、家は陸軍基地のすぐ近くだ。青と白の外観が目をひく建物。4階建てとなっており、周囲の家と比べても明らかに豪華だ。
今は遠目でも銃弾やロケットにより損壊しているのがわかる。正面の門には無数の弾痕。門をくぐって中に進むと駐車スペースのある中庭にでる。
その駐車スペースの壁の隅に直径60cmほどの大きな穴が開いていた。銃撃戦が始まると、ハピロンは妻をここから逃がそうとしたが、待ち構えていた軍によって妻は射殺されたという。
庭には今も無数の空薬莢が落ちている。中庭の壁をよく見ると、何発もの錆びた弾頭がめり込んだまま残されていた。壁の一部はRPG弾により崩壊し残骸が散乱している。ふと見上げると、まだ当時の洗濯物が干されたままだった。この家に、数か月前から武器弾薬、医療品、保存食などが蓄えられ、来るべき日のために準備がされていた。銃撃が始まったのは5月23日。彼らの設定した日付ではなかったかもしれないが、遅かれ早かれ始まる事だったようだ。
ISIS MAUTEの“MAUTE”とは、マウテ兄弟によって2012年に組織されたイスラム武装組織である。2015年にアブサヤフと同じくISILに忠誠を誓っていた。彼らISIS MAUTEが目標としていたのは、マラウィにイスラム教の預言者ムハンマドの後継者「カリフ」が統治するカリフ制国家を樹立する事だったと考えられている。だが今回、彼らの目的は達成しなかった。代償として900人以上の戦闘員を失った。ただ、皮肉にもメインバトルエリアはISIS MAUTEの手によって……ではなく、国軍の空爆によって壊滅したのだった。
私は、車窓から瓦礫と化した町を眺めていた。弾痕だらけで黒く煤けた壁、無様にひっくり返りひしゃげた金属の塊となった車、ボロボロの柱だけが残った建物の残骸。多数の建物の上階部分が吹き飛んでいるのは空爆のためだろうか。
当初ドゥテルテ大統領が攻撃を控えていたモスクでさえ、おそらく数千、いや数万発の弾丸によりISIS MAUTEとは何者なのか?
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