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“私立御三家”出身、TV局社員の転落人生…時給1000円アルバイトで20年、気づけば50代に

 高学歴ならば人生安泰という神話はとうの昔に崩れ去った。たとえ、生真面目にエリート街道を進み、世間的には一流の職業に就くことができたとしても人生なにがあるかわからない。今回は、“御三家”と呼ばれる名門校から憧れのテレビマンになったにも関わらず、現在は時給1000円のアルバイト生活に甘んじる50代男性の半生を紹介したい。
寂しい背中

※写真はイメージです

“私立御三家”に通い女のコにモテまくった

 実家は横浜市内の高級住宅街。父は航空会社社員、母は有名生命保険会社の総合職を経て専業主婦。誰もが羨む上流家庭に育った吉原さん(仮名・50代)もまた、当たり前のように名門私立幼稚園に通い、中学も私立、高校は東京都内の“私立御三家”と呼ばれる男子校にすんなり受かった。高校入学時点で五教科の偏差値は低くて70、模試によっては偏差値が80を超えることも少なくない。まさに“神童”の名に恥じない「エリート予備軍」だった。  大学は当然「東大」以外にない、と高校入学直後から勉学に励んだ。とはいえ、文武両道が大事だという父の教えに従い、陸上部では短距離走者として活躍。身長は180センチを超え、社会人デビュー前にして、すでに「高学歴・高身長」かつ、しょうゆ顏のイケメンとくれば、学園祭では他校の女子生徒からモテまくった。その後、東大にこそ受からなかったが、現役で慶応大学法学部に合格した。  そして、大学ではほぼ「オール優」の成績で卒業。当時は競争倍率数千倍とも言われた大手テレビ局に就職が決まった。

大手テレビ局に就職したが身も心もボロボロに

 入社した80年代後半、当時はバラエティ全盛期だった。吉原さんはバラエティ番組や情報番組を作る「制作局」を希望したが、実際に配属されたのは「営業局」。まったく興味のなかった分野だけに落胆したが、何とか必死でやりきろうと決めた。ところが、当時のテレビ局営業職の仕事といえば、広告代理店やスポンサーの接待一色。パワハラやセクハラは当たり前どころか常識で、毎晩のように朝まで飲み、吐いても吐いても飲まされた。家に帰るのは空が白ける頃というのも当たり前。  眠りにつく前には上司から呼び出され、ほんの数時間前まで飲んでいた得意先の会社玄関に立ち、役員らの出社を迎えたりもした。営業2年目のある日、吉原さんはついに会社で倒れて入院。丸一日意識が戻らぬほどに体も精神もボロボロになっていたのだった。 「医師からは労災を申請した方がいい、と言われました。何も知らずに会社にそれを話すと、すっかり私への扱いが変わった。1週間入院して会社に戻ると、営業には戻らずそのまま人事局へ異動が決まり、半年後には業務部へ。その間、テレビマンらしいことは一切やらせてもらえず、会社ビルのメンテナンスや清掃を請け負う下請け会社と向き合うような部署に配属されたのです」
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窓際よりも厳しい「墓場」の部署へ…
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