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アメリカ帰りの30代エンジニア、年収2000万円からの転落「収入は3分の1に、酒しか楽しみがない」

 グローバル化が進み、特にIT関連の仕事においては日本に留まらず、アメリカやシンガポールなど海外に渡って挑戦するひとも増えたのではないか。一見、海外で仕事をすることは輝かしい経歴にも思えるが、実際はそのひとなりの苦労があるものだ。  今回は、アメリカのシリコンバレーでエンジニアとして活躍していた30代男性の“転落途中”の姿をお届けしたい。 サンフランシスコ

アメリカ帰りのエリートエンジニアの転落…

「自分がエリートかどうかはわからない。でも転落の途中にいることは間違いない」  神奈川県厚木市内の高層マンションの自室で、アルコール度数が高めの缶チューハイをがぶ飲みしながら吐露する男性。じつは彼、2年前まではアメリカ・シリコンバレーの世界的IT企業でバリバリ活躍していたエリートエンジニア・本田さん(36歳・仮名)である。  誰もが羨む本田さんの輝かしい経歴は以下の通りだ。 「関西の公立トップ高校を卒業後、現役で東京工業大学に進学しました。在学中から仲間とベンチャー企業に出入りしていて、その縁でアメリカの大学に留学。勉強しながらサンフランシスコやロサンゼルスのIT企業で働き、すでに今の収入の数倍を手にするようになって。大学は辞めてしまったんです」  帰国寸前の2年前、本田さんの年収は2000万円を超えていた。家賃や物価の高騰が続くアメリカ・ベイエリアで生活していたため、ワンルームでも50万円を超えるマンションに住み、一杯2000円のラーメンを食べて、寂しさを紛らわす。日本とは違い、個人主義が徹底されたアメリカ社会。「日本でも周囲に溶け込めなかった」という本田さんが、ましてやアメリカ人と意気投合できるわけもなく、ただただ、給料が高いからというだけで黙々とひとりで仕事を続けた。  それでも、本田さんの能力は会社にも認められており、数多くのスタートアップ企業から声が掛かるなど、その力量は類まれなるものだった。しかし、転機はいきなり訪れた。 「日本人の仲間と週末に食事に行くが、特に面白いと感じたこともなく、話も合わない。そう感じていたときに、『レイオフ(※会社の業績が悪化した際、一時的に解雇されること)』と会社から通告されたんです。他の会社に移籍することも考えましたが、このままアメリカにいてもずっとひとりだと思い、帰国を決めたんです」  いきなりの「クビ宣告」といえば酷い話にも聞こえるが、特にアメリカのIT企業では「レイオフ」は珍しいことではないそうだ。  どんなに業績の良い企業であっても、プロジェクトの中止が決定すると、携わるエンジニアは一斉に解雇されたり、配置転換を余儀なくされる。ただ「レイオフ」された労働者には多額の退職金が支払われたり、もともと超高給取りだった彼らは、無職期間でバカンスを過ごすなど、日本文化のそれとはかなりニュアンスが異なる。  本田さんは、2000万程度の退職金と、アメリカで貯めた2000万ほどの貯蓄、さらに3000万オーバーの株券などを手に帰国を決意した。これだけの経歴を引っさげていたからか、オンライン面接などを経て、2週間程度で有名企業のエンジニアとして働くことも決まった。  ところが、収入はアメリカ時代の三分の一に……。
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日本のエンジニアは低収入なうえに長時間労働…
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