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球界初のメジャー出身監督・井口資仁は最下位球団をどう建て直すのか?



――「井口新監督誕生か?」という報道が先行していましたが、実際にオファーがきた時の気持ちは?

井口:僕の中では「おっ! こうきたか!」って感じでした。まあいずれは監督をしたい思いはありましたし、ここ何年かは試合に出ていない時は自分でチームマネジメントの勉強もしようと思っていました。ただ、こんなに早く監督就任の要請がきたのかって(笑)。正直、1、2年は外に出ていろんなことを見てみたい、できればアメリカで勉強したいという思いがありました。

――監督要請の一報は電話? メール? それとも「井口ちょっと……」みたいに呼ばれたのですか?

井口:球場のサロンでたまたま社長、本部長と3人になった時に「ちょっといい?」みたいに言われて。「来季から監督でいこうと思っているから」と。確かゲーム前だったと思います。

引退試合に備えた2軍で見た若手選手の「矛盾」


井口:それから少しして、引退試合に向けて2軍での調整に入りました。ダイエー時代の1、2年目くらいまでは1軍と2軍を入ったり来たりはありましたけど、1か月近くもいたことはなかったんで。そしたら2軍の選手のモチベーションの低さ。「なんじゃこりゃ!」って驚きました。

――そこで井口さんはどんな行動をされたのですか?

井口:いろんな選手に話を聞いてみたんです。そうすると徐々にですが2軍の選手たちの意識が低い理由がわかってきたんです。そのひとつが2軍への落とし方です。選手に2軍降格を伝える時、どうやって伝えていたのかと。「(最短の)10日で戻ってこいよ」「期待しているから2軍で頑張れよ」と送り出してあげれば、ひょっとしたら彼らは(再昇格を目指して)2軍でがむしゃらにやるんじゃないかと。でも「お呼びがかからないから、ほどほどに頑張っとこうか」みたいなのが見えていた。なかでも衝撃的だったのは「1軍に上がりたくない」という選手もいて。

――とんでもないことですね!?

井口:「おまえらウソだろ!」って。だから選手をそういう気持ちにさせてはいけないし、そこは預かる側の言葉の大切さを感じました。

※このインタビューは1/23発売の週刊SPA!のインタビュー連載『エッジな人々』から一部抜粋したものです

【井口資仁】
’74年、東京都生まれ。青山学院大時代は東都大学リーグ史上唯一の三冠王を獲得し、’96年アトランタ五輪で銀メダルを獲得。プロ入り後は盗塁王を2度獲得。日本シリーズとワールドシリーズを制覇した初めての日本人となった。日米通算2254安打を放ったバットマンは、今季よりマリーンズの指揮を執る。

取材・文/小島克典(スポカルラボ) 撮影/渡辺秀之

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週刊SPA!1/30号(1/23発売)

表紙の人/ 芳根京子

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