「インスタ映え」を狙っている人が疲れる理由
――2018年という時代に引き寄せて『
デカルトの憂鬱』を読んだとき、印象的なのはデカルトの驚きに対する考え方です。去年の流行語大賞に「インスタ映え」という言葉が選ばれましたが、「インスタ映え」というのは、常に驚きを追い求めているとも言えますね。
津崎:デカルトという人間は、あるいはそんな人間に関心を寄せる私は、もっともインスタ映えから遠いかもしれない(笑)。いずれにせよ、インスタ映えを求めないのがデカルト的な生き方でしょうね。インスタ映えを狙っている人は皆、疲れてるでしょう? それはデカルトから見ると哀れです。なぜ疲れるかというと、デカルトのキーワードで言えば「驚き過ぎている」から。彼らは常に珍しいものを探していて、皆に驚いてもらうために刻一刻とアップし続けている。アップしている人もそれを見ている人も、驚き過ぎているんです。
――本の中に、「驚くことが習慣になってしまった人は、『希少かつ異常に見えるもの』をあちこち探し回ってばかりいて、これについて腰を据えて学ぼうとしない」という一文が出てきます。これは耳の痛い話でもありますが、でも、じゃあ腰を据えて学ぶというのはどういうことなんでしょう?
津崎:勉強するといっても、大上段に構える必要はないんです。SNS疲れのあなたにデカルトならどうアドバイスをするかというと、「時間の緩急をつける」ということでしょうね。SNSを見るなとは言わないけど、見ない時間を作ったほうがいいとは言うんじゃないかしら。では、SNSを見ない時間に何をするか。自分のこれまでの経験と「比較」してみるんです。ここに落とし穴があるんだけど、SNS疲れをしている人って、自分の経験と比較するから落ち込むわけですよね。「私はインスタにアップできないような人生だ」と。私もいつもそう思います。ホームパーティーなんてやらないし、呼ばれないしね。
津崎:でも、よく考えてみる。自分の人生を振り返って、誰かがインスタグラムにアップしているような輝かしい出来事はなかったのか……と。遠い過去にある、それを思い出すとほっこりするセピア色の輝かしさ。それは誰かが今インスタグラムに載せている輝かしさとは違うかもしれないけど、すごく大事なものであるはずなんです。そのことを考えられるだけの時間の余裕を持つということですね。そうして自分の思い出を「想起」し、忘れていることがないか「枚挙」し、「比較」や「分析」をする。これらすべてが「学び」の究極的な意味です。そのゆとりを持つためにも、SNSオフ日を設けるということですね。
――でも、頭ではわかっていても、それを実践するのは難しいですね。『
デカルトの憂鬱』の中には、西洋哲学史における重要なキーワードとして「習慣」(ハビトゥス)というものが紹介されていますけど、何かを習慣づけるというのは大変なことですね。
津崎:そうなんです。やっぱり、誰だって見ちゃうよね。「SNS疲れしちゃってる私は嫌いだ、だから今日から心機一転、SNSを見ないようにする!」これがダメなんです。心機一転というのはもっとも非デカルト的な発想です。デカルトにとって大事なのは、急ぎ過ぎてはいけないということ。少しずつチャンスを手繰り寄せながら、日常生活で巻き起こる様々な問題とうまく付き合う方法を考える。これがデカルトの考えです。誤解していただきたくないんですが、この本の著者はデカルトのように生きているわけでは全然ありません(笑)。やっぱり自分とは非常に違う人間だから勉強したいと思うし、こうなりたいと思うからデカルトについて研究しようと思ったんです。ですから、皆さんにも、この本を通じてデカルトの哲学をぜひ体感してもらいたいですね。
構成/日刊SPA!編集部