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リック・マーテル 遅れてきたオールドファッション――フミ斎藤のプロレス講座別冊レジェンド100<第56話>

 チャンピオンになった時代が悪かったといえば、そういうことになってしまうのだろう。マーテルがAWAの主役となった1984年は、ビンス・マクマホンがWWEの全米マーケット進出プランに着手した年だった。  ホーガン、アンドレ・ザ・ジャイアント、パイパー、ジミー・スヌーカといったオールスター・キャストが全米ツアーを開始し、AWAの本拠地ミネアポリスに乗り込んできた。  ガニアは、ジム・クロケットJr(NWAクロケット・プロ=ノースカロライナ州シャーロット)、オレイ・アンダーソン(NWAジョージア=ジョージア州アトランタ)、ジェリー・ジャレット(テネシー州メンフィス)、カルロス・コロン(WWC=プエルトリコ)ら大物プロモーターたちとの合同プロジェクト“プロレスリングUSA”でWWEの本拠地ニューヨークへの進出を試みた。  しかし、いずれも“一国一城の主”の集合体はまとまりがつかず、マーテルもそういった政治的な背景のなかでスタン・ハンセンに敗れベルトを失った(1985年12月29日=ニュージャージー州イースト・ラザフォード)。  マーテルはその後、WWEと契約しトム・ジンクとのコンビでカンナム・コネクション、ティト・サンタナとのコンビでストライク・フォースとタッグチーム部門で活躍(1987年10月27日、ニューヨーク州シラキュースでブレット・ハート&ジム・ナイドハートを下してWWE世界タッグ王座を獲得)。  1990年代前半には男性ファッション・モデルという設定の“ザ・モデル”マーテルとして慣れないヒールを演じたが、WWEのリングではどちらかといえばワン・オブ・ゼブの立場に甘んじた。 ●PROFILE:リック・マーテルRick Martel 1956年3月18日、カナダ・ケベック州ケベックシティー出身。本名リチャード・ヴェニョーテ。1978年、ドン・ムラコとのコンビでハワイ・タッグ王座、1981年にはトニー・ガレアとのコンビでWWE世界タッグ王座をそれぞれ獲得。1998年、引退。 ※文中敬称略 ※この連載は月~金で毎日更新されます 文/斎藤文彦
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