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バンコクの一流店で包丁を振るう日本人女性。タイで料理修行5年、ついに日本で開店へ

タイ生活が5年を超えた頃に決断したこと

 東京・六本木に、創業して約20年のとある和食店がある。六波羅はこの店の店主と共に、タイ料理イベントを東京で開催した。 「タイ料理イベントは好評で、’16年から’17年にかけて計5回開催しました」  和食店の店主はそれまでまったくタイ料理に興味を持っていなかったが、イベントを通じてタイ料理に魅せられたという。その影響は大きく、自身が所有する長野県の自家農園でタイハーブの栽培を始めたうえ、さらには自家農園の近くに建っていた古民家を使ってタイ料理店を始めようかという話にまで至った。 「自家製ハーブを使ったタイ料理を出すことをコンセプトにしています。この新店の運営やメニュー開発を、和食店の店主と一緒に進めていくことになったんです」  タイ料理店を運営するということは、日本への本帰国を意味している。六波羅はバンコクでの日々の中で、本帰国を希望したことは一度もなかった。日本食が恋しいと思うこともない彼女にとって、毎日タイ料理を食べられていること、学びの日々を送れていることが“幸せ”なのだ。しかし、どこか心の奥底でこう囁く自分がいることにも気付いていた。 ――いつまでもこんな夢のような日々が続くのだろうか。  和食店店主と始めることになった新店の立ち上げ。このことをきっかけに、彼女が愛してやまないタイでの生活に幕を降ろし、本帰国する決意を固めた。
タイ料理修行

修行屋台では、生血の料理もずいぶん作ったという(写真提供:六波羅悠子)

長野県で今までになかったタイ料理店を出店

 六波羅は英語でメールを書き進めていた。本帰国前、どこかの店で研修をさせてもらい、タイでの集大成をぶつけてみたかった。彼女が迷うことなく選んだのは、’17年にミシュランバンコクで1つ星を獲った件の『Nahm』である。この店で修行をさせてもらうべく、思いの丈を英文に込めていたのだ。  厨房に人を入れるということは、『Nahm』にとって他人に企業秘密を見せることを意味している。普通なら手紙を書く前に「無理だ」と諦めるだろうが、六波羅は屋台で修行をしたりと普通ではない日々をバンコクで送ってきた変わり者だ。そんな彼女のメールは『Nahm』の責任者の心を揺さぶり、およそ半月間の研修を許可された。  タイでの最後を締めくくる場として、これ以上の店はないだろう。用意したコックコートと包丁を手に取り、一流店の厨房に足を踏み入れた。期待と不安が交錯しながら挑んだ2週間。予想していたよりはるかに凄まじかったと後述する。 「予約が100人を超えることが当たり前の毎日なので、厨房内はまさに“戦場”でした」  次から次へと指示が舞い込んでくるうえ、早口で飛び交うのはタイ語なので、聞き違えないよう集中しなければならない。毎日9時間、びっちりと厨房で鍛えられた。その疲労は六波羅をボロボロにし、好きなお酒でさえまったく飲めない日々が続いたという。  戦場と例えた厨房での研修期間だったが、『Nahm』での仕事を体験できたことでいろんなことが見えたと六波羅は話す。一流と言われるレストランが、なぜ一流と言われるのか。なぜ満席になるのか。シェフとしてのこだわりは当然ながら、味だけではない箇所に力を入れている。それらを随所で垣間見ることができ、料理人として、長野県で店を経営していく者として、確実に成長しただろう。
タイ料理修行

『Nahm』での研究最終日に撮った一枚。左は仲良しだったサービスの子(写真提供:六波羅悠子)

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新店では自分が好きなタイ料理を出す
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