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バンコクの一流店で包丁を振るう日本人女性。タイで料理修行5年、ついに日本で開店へ

 バンコクのサトーンに店を構えるタイ料理店『Nahm』。’14年に「アジアのベストレストラン50」の1位に選ばれた同店は、’18年のミシュランガイドバンコクでは星1つを獲得。バンコクに数あるタイ料理店の中でも、名店として不動の地位を得たお店だ。  一流のシェフが集まり一流のタイ料理を創り出すこの店の厨房で、ひとりの日本人女性が、必死になって彼らの動きに食らいついていた。彼女の名前は六波羅悠子(ろくはらゆうこ)。実績もなく知名度もない日本人女性が、ミシュランガイドに選ばれた『Nahm』の厨房で包丁を握ることができたのは、彼女が持つタイ料理への熱意が認められたからだった。

本場で食べたタイ料理に感銘を受けタイへ料理留学

 1977年、東京生まれ。大学を卒業後、21歳でアメリカに留学した六波羅は、帰国してから貿易会社に就職することになる。 「イタリアンレストランなどに魚貝類を卸している会社だったんですが、会社から『ワインの勉強をしないか』と言われ、ワインの学校に通うことになったんです」  会社からの勧めで通い始めたワイン学校だったが、通い始めると彼女はワインの奥深さにすっかり魅せられた。学べば学ぶほどワインへの愛は深まるばかりで、想いは次第に膨れ上がり、ワインの勉強を勧めてくれた貿易会社を退職。  次に選んだ職場はワイン会社の事務というから、ワインへの傾倒ぶりは半端ではなかった。好きになると、とことん惚れ込む。そして徹底的に学ばなければ気が済まない。彼女のそんな性格はスペイン料理に対しても発揮され、ついにはスペインへ料理を学びに行くことを決意。ワインの産地として知られるスペインのリオハへ留学を決めたのだ。 「申し込みも終わりあとはスペインに渡るだけだったんですが、結局行けずじまいでした」  彼女が留学を保留した理由とは、渡西直前に起きた東日本大震災である。未曾有の震災は、あれほど待ち望んでいたスペイン留学をためらわせた。スペイン留学が白紙になったことで時間に余裕ができた六波羅は、タイを初めて旅行することにした。その時に食べたタイ料理が彼女を狂わせたのだ。 「タイ料理を食べて感動しました。日本で食べたタイ料理とはまったく違ったんです。特に私が惹かれたのは、現地ならではのハーブ使いと発酵食です」  タイ料理に惚れた彼女は、その後何度もタイへ足を運び、日本ではタイ料理教室に通い、さらにタイ語も勉強。ワインに傾倒した時と同じように、タイ料理への造詣を深めるために徹底的に自分の時間を費やした。時間が経つにつれタイ料理への想いは深まり、スペインへの料理留学を諦めた日から約2年経った’13年5月、六波羅はタイへ渡ることを決意。好きなタイ料理をとことん学ぼうと決めた渡航である。ところが滞在期間は10か月だけと決めていた。 「その頃はまだスペイン料理の留学も諦めていなくて、帰国してから挑もうと思っていたんです。なので10か月だけと決めていました」  しかしタイでの滞在が10か月経ち2年経っても、六波羅がバンコクを離れることはなかった。本場のタイ料理とタイ王国の魅力は、そう簡単に彼女を離さない。  滞在日数が経つにつれタイ料理をもっと学びたいという気持ちを膨らませ、日本への帰国を遠のかせていった。いくつものタイ料理教室へ通い、名だたるタイ料理店や屋台を食べ歩き、家ではタイ料理を作る日々。頭の中を占めているのはタイ料理のことばかりである。ふと来店した、名も無き屋台の料理に惚れ込んだ挙句、手伝わせてもらいながら料理を習い、武者修行をしたこともあったという。
タイ料理修行

タイ生活2年目に通ったタイ人向けの料理学校で。左は彼女が師匠と呼ぶ女性。レシピも授業もタイ語でかなり大変だったが基礎はこの教室で固めたという(写真提供:六波羅悠子)

「気に入ったお店があったら屋台だろうと食堂だろうと、何度も通って顔を覚えてもらうんです。少なくとも半年から1年ぐらいは通って、仲良くなったころを見計らい『教えてください!』ってお願いしてみるんです」  彼女の熱意に押され、料理修行をさせてくれたイサーン料理(タイ東北料理)の屋台は、『Lerdsin Hospital』病院の裏手にある、名も無き店だ。外国人が作るイサーン料理を「美味しい」と言い、お金を払って帰っていくタイ人たち。 「言葉で表しきれない幸福感に満たされる瞬間だった」と彼女は振り返る。そうやって得ていったタイ料理の知識や調理技術は、他人が簡単に真似できない領域にまで達し、いつからかそんな彼女の存在は、バンコク在住者たちの口コミによって拡散していくことになる。 「バンコク在住のお友達やお知り合い向けに自宅でタイ料理を教え始めたんです。来てくれた方々が口コミで広げてくださり、徐々に生徒さんが増えていきました」  私は知人に誘われ、彼女の料理教室へ二度顔を出したことがある。料理をしない私は教えている様子を眺めていただけだったが、素材の説明から調理法まで詳細に述べながらも手早く、3年前まで素人だったとは思えないプロとしての仕事っぷりだった。六波羅のもとへ習いに来ていた駐在妻が、帰国後、自身でタイ料理教室を開いたというエピソードも頷ける。
タイ料理修行

六波羅の料理レッスンでは必ずワインとビールが添えられる(写真提供:六波羅悠子)

 好きなタイ料理のことばかりを考え、タイ料理を教え、タイ料理が好きな人たちに囲まれた日々。日本へ戻ることは考えなかった。漠然と、このままタイで過ごしていくのだろうと思っていた。しかし、転機は訪れた。
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タイ生活が5年を超えた頃に決断したこと
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