人間のあくなき欲求である「エロ」は、いかにして進化を遂げてきたのか? 今日の発展に多大な影響を与えたキーパーソン達を厳選し、ここに紹介していく。
創意と工夫で新境地を開拓してきたAV界の鬼才
’81年から始まったといわれる日本のAV。その黎明期から監督として関わり、AV最初の大ヒット作である『ドキュメント ザ・オナニー』シリーズを手掛けたのが代々木忠氏。名前がクローズアップされた初めてのAV監督だ。
「当時はAVも成人映画と同じような作りのドラマ作品だったんですが、演技じゃない、女が本当にオナニーで感じているところを僕自身が見たかったんです」

代々木忠氏
フィルム撮影の映画とは違うビデオ撮影の特色を生かした生々しい迫力の代々木氏の映像は、その後のAVの方向性を決めた。性感マッサージのドクター荒井を主役にした『性感極秘テクニック』シリーズや淫乱ブームを巻き起こす『いんらんパフォーマンス』シリーズなどをヒットさせ、’93年からは超長寿シリーズ『ザ・面接』を現在に至るまで撮り続ける。御年80歳、まさにAVの生きる伝説だ。
「女はこういう一面を持っていたのかと、いつも思い知らされます。性の世界は奥が深い。これを単なる金儲けの道具にしちゃバチが当たると思いますね」
’80年代末には、本番にこだわる村西とおる氏、’90年代初頭からはハメ撮りでリアルなセックスを描き出すカンパニー松尾氏らが脚光を浴び、’00年代に入ると二村ヒトシ氏が痴女ブームを巻き起こす。
二村氏が描き出した「痴女」は、男のファンタジーであると同時に「セックスにおいて女性は常に受け身でなくてはならない」という概念からの解放でもあった。

二村ヒトシ氏
「僕のAVの影響もあるのか、素人女性が男性の乳首を舐めたり、騎乗位をするのが普通になりましたね。エッチなことに対して恥じらいが薄れて積極的になった。乳首が感じる男性の皆さんは僕にもう少し感謝してほしいですね(笑)」
二村氏の作品に導かれるようにして、男性の草食化が’00年代後半あたりからにわかに世間を賑わすこととなった。
「最初は異端視されていたのに、だんだんと同じような作品も増えてきて、ジャンルがマニアックなものではなく、ごく普通になった。僕が痴女というジャンルを発明したつもりはないけれど、結果的にブームを予言したかもしれません」