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安田純平さんを独自ルートで「救出」しようとしたジャーナリスト・常岡浩介氏の告白

Japanese journalist Jumpei Yasuda sits between two Turkish gendarmes on a Istanbul-bound flight due for departure at Hatay airport

写真/ロイター/アフロ

 10月25日、内戦下のシリアで反体制派のイスラム過激派組織「ヌスラ戦線」(現・シリア解放機構)に拘束され、3年4か月ぶりに解放されたフリージャーナリストの安田純平さんが帰国した。

 英国に拠点を置くNGO「シリア人権監視団」によると、過激派組織との交渉窓口になったのはカタールとトルコで、最終的にカタールが身代金300万ドル(約3億3700万円)を支払ったことが解放の決め手になったという。だが、具体的にどのような交渉が行われたのか、真相は今も藪の中だ。一方、安田氏が2004年4月に起きたイラク日本人人質事件以来、今回で2度目となる拘束だったこともあり、ネット上では「自己責任論」が再燃。安田氏へ批判の声が渦巻いている。

 そこで、2016年11月に過激派組織「イスラム国」(IS)との関係を疑われクルド自治政府当局に逮捕されるなど、危険地域の取材活動を通じ過去幾度も身柄拘束された経験を持ち、安田氏とも十数年来の親交があるジャーナリストの常岡浩介氏に話を聞いた。

――解放の知らせを聞いたときの気持ちは?

常岡:本当によかった! のひと言です。というのも、安田くんが拘束されて以降、ジャーナリスト仲間たちと彼の救出を試みていたのですが、別のルートから妨害され、失敗に終わった経緯もあったので……。

 ツイッターでも呟きましたが、彼がシリアに行くとき、僕は「捕まれ捕まれ」とメッセージを送りました。仲間同士の冗談ではなく、紛争地でジャーナリストが拘束されれば、ほかのジャーナリストが儲かりますから(笑)。

 僕がアフガニスタンで捕まったときも、捕まる直前に僕の写真を撮ったカメラマンはいい収入になった。戦場ジャーナリストは儲かる仕事ではないので、僕ら仲間うちでは、誰かが戦場取材に入るとき、まず「ガンクビ(顔写真)をくれ」と言います。何かあったとき、その写真が売れ、無事帰国後はその売り上げでメシを食えるからです。今回、残念でならないのは、これまで安田くんの救出のために現地に行くなど、散々出費してきたので、結局、誰も儲からなかったという点に尽きる(苦笑)。

――どのようなルートを使って安田さんを救出しようと考えていたのか。

常岡:シリアのヌスラ戦線やISの支配地域に入って取材ができる日本人ジャーナリストは、僕を含む3人しかいなかったが、2015年5月までに2人が立て続けにトルコ入国を拒否され、僕も7月に門前払いを食ったこともあり、当初、救出活動は頓挫していたのです。その後、中央大学講師の水谷尚子さんがヌスラ戦線内部のウイグル人協力者を確保したため、“身代金なし”で救出できるよう努力する約束を取り付けました。

 実際、安田くんの身柄をトルコまで連れてくる段取りまで話は進んでいたが、同じ頃、ある日本人ジャーナリストA氏と在日20年以上のシリア人・B氏の2人が、安田くんの家族や、当時、救出に尽力していた外務省に何の断りもなくトルコを訪れ、ヌスラ戦線に身代金脅迫を委託されている非常に筋の悪い人物X氏に接触し交渉を始めました。この後、X氏はヌスラ戦線に「身代金を取れる」と報告し、僕たちの“ウイグルルート”は完全に潰されてしまったのです……。

 過去に、ヌスラ戦線に拘束されたポーランド人2人が、無償で解放するルートで交渉を重ね、わずか6週間で解放された例もある。“ウイグルルート”が生きていたら、安田くんは身代金なしでもっと早く解放されていた可能性が高かったと思います。

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カショギ氏暗殺事件が影響した可能性も?

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シリア拘束 安田純平の40か月

2015年6月に取材のためシリアに入国し、武装勢力に40か月間拘束され2018年10月に解放されたフリージャーナリスト・安田純平。帰国後の11月2日、日本記者クラブ2時間40分にわたる会見を行い、拘束から解放までの体験を事細かに語った。その会見と質疑応答を全文収録。また、本人によるキーワード解説を加え、年表や地図、写真なども加え、さらにわかりやすく説明。巻末の独占インタビューでは、会見後に沸き起こった疑問点にも答える





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