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皇族に人権はない。当たり前の事実を、日本人は忘れてしまったのか?/倉山満



天皇の男系子孫というだけでは皇位継承資格はない


 あまりにも血が遠いのは、自明だろう。皇室でも「五世の孫」の原則があり、天皇の男系子孫というだけでは皇位継承資格はない。それを言い出したら、平将門も近衛文麿も男系子孫である。原則として天皇の五世孫(玄孫)は、臣籍降下する。伏見宮家は、例外とされてきたのだ。

 明治の時代、皇族確保の必要性から、明治天皇は自らの娘である内親王と伏見宮系皇族の婚姻を進めた。結果、皇室の本流との血が近くなった。たとえば、竹田恒和氏は女系により明治天皇の曽孫である。

 同じく、昭和天皇も東久邇宮家との婚姻を進めた。東久邇宮盛厚王(終戦時の稔彦首相の息子)と昭和天皇の皇女である成子内親王はご結婚され、その子が最近お亡くなりになられた信彦氏である。大塚氏が問いただしているのは、信彦氏に子女がいるではないか、との事実だ。

 信彦氏の母は、今上天皇の姉上にあたる。また、祖父母全員が皇族である(母方の祖父は昭和天皇)。

明治天皇系・昭和天皇系の系図 20年ほど、男系か女系かの二者択一の議論が行われてきたが、いずれにも問題がある。

 いくら男系子孫であっても、近衛文麿が皇族や天皇になって良いわけがない。五世の孫の原則があるからだ。同時に、内親王がフリーターを連れてきて結婚するまでは認めても、その配偶者が皇族になり、その二人から生まれた子供が皇族や天皇になって良いわけがない。我が国にこれを認めた先例は一つもない。皇室を議論する上で、最も大事なのは先例である、歴史の中から吉例を発見するかにあるという点については、議論の余地がない。

 一方、元皇族と旧皇族の皇籍復帰は多くの先例がある。特に一例ずつあげる。定省親王は、当時の藤原氏の圧力により臣籍降下させられ源定省となったが、皇籍復帰して第59代宇多天皇となられた。臣籍にあった源定省の子が源維城であり、父の皇籍復帰に伴い親王宣下され維城親王となった。後の第60代醍醐天皇である。

 宇多天皇は元皇族から、醍醐天皇は旧皇族から天皇となった先例である。いずれも寛平の治、延喜の治で知られる名君である。

 今こそ皇統保守のために、どなたに皇統に復帰していただくかを具体的に議論すべき時が来た。こうした際、「人権」を持ち出す論者がいるが、目もくれる必要はない。皇統保守は、婚姻の自由に優先する。

 あえて言う。皇族に人権はない。だからこそ、皇族は貴いのだ。

憲政史研究家 ’73年、香川県生まれ。’96年中央大学文学部史学科を卒業後、同大学院博士前期課程を修了。在学中より国士舘大学日本政教研究所非常勤職員として、’15年まで同大学で日本国憲法を教える。’12年、希望日本研究所所長を務める。同年、コンテンツ配信サービス「倉山塾」を開講、翌年には「チャンネルくらら」を開局し、大日本帝国憲法や日本近現代史、政治外交について積極的に言論活動を展開。ベストセラーになった『嘘だらけシリーズ』など著書多数
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